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橋はなくとも川を渡る|夫の独立開業つれづれ日記 vol.2


一度決めたら即行動するのが夫だ。

石橋を叩いて叩きすぎてヒビ入れる私からすると、行動にうつす速さは目を見張るものがある。
例えば私が「ここに行ってみたいな〜」と言ったとして、次の日曜の予定は…天気は…などとスマホを見ながらブツブツ言ってる私をよそに、すでにそこに向かって車を走らせてたりするのだ。

「えっ、今から行くの⁉︎」
「え?だって行きたいって言ったじゃん」

という具合である。
決めたら即行動できる夫が時々うらやましい。

友人と3人で起業しようと話が盛り上がり、さっそく集まって作戦会議をすると言って、日曜の夕方にいそいそと出かけて行った。
5月も終盤のことである。

気分は、旅行計画を立てるときに似ているのだろうか。行く前にあれこれ思いを馳せ、ここにも行ってみたい、あっちもいいな、というワクワクの雰囲気があるのかもしれない。
どんな作戦会議だったのか知るよしもないが、帰宅した夫は3人の役割の話をしてくれた。機械を購入するのが友人の弟だから経営者、友人は営業、夫は機械を使って生産する作業者だという。それぞれが得意とする役割を担うのだから適材適所なのだろう。
日頃から夫が、俺には社長は務まらないし、そういうのはガラじゃないと口にしているのを聞いている。
役割を聞いたときは、なるほどなぁと思っていた。

今や資本金などなくとも起業できる時代だ。カタチはどうあれ、いつでもやる気さえあればスタートできる。
走りながらカタチ作ることもできるし、カタチを変えながら進むこともできる。
勢いで始めてしまえば、あとはなんとかなるのかもしれない。と私は気楽に考えていた。

頭の中で、何回か3人が役割どおりに仕事をする光景を描いてみた。物理的にはいいと思う。でもどうしても違和感が拭えなかった。
違和感の正体はなんなんだろう。
何回も、起業してからの光景を思い描いた。違和感の正体を探し当てるまで何回も。2日間くらい探していただろうか。やっと正体を見つけた。

友人と、仕事と、お金。
違和感の正体はそのバランスだった。

今まで損得勘定なく付き合ってきた友人と、お互いに家族がいて生活をするために仕事をし(仕事イコール生活費を稼ぐためのものとは限らないが)お金を稼ぐということは、これまでの関係ではいられなくなるのではないか、ということに違和感を感じたのだ。
友人というフラットな関係から、少なからず組織のような上下関係が発生すると想像できる。そうしたら今までのように友人として付き合っていけるのだろうか…
お金が絡めばきっと、うわべのキレイゴトだけでは済まない。夫はそれを承知で3人で起業するつもりなのだろうか。

だがしかし、話が盛り上がってるところに水を差すようで言いにくい。
いやいや、でもでも確かめずにはいられない。ほんの一瞬、機嫌を損ねるかもしれないけど、後々こんなはずではなかったとみんなで後悔するよりはいいだろう。

私が勇気を絞り出して夫にたずねると、拍子抜けするくらい飄々とした返事が返ってきた。
あ、それね。俺もソコはきっちりハッキリ決めておかなきゃいけないと思ってるよ。でもなぁ…その配当率とかが難しくてどうやって決めたらいいのか悩んでる。
ということだった。
夫も考えが及んでないわけではなかった。しかし経営に関してはまるきり素人なため、考えてもいいアイデアは浮かんでこないようだった。

最初の作戦会議から一週間がすぎ、次の作戦会議。ちゃんと話し合ってしっかり決めてくると言って、夫は友人の迎えの車に乗り出かけていった。
コロナのこんなご時世だから、居酒屋で話すにしても2時間を限度にしていると言っていたが、その日は夜中まで帰宅しなかった。

揉めているのだろうか…
一抹の不安が眠気にかき消されようとした頃、私の携帯電話が鳴った。夫からだった。
てっきり、これから帰るという電話だと思っていたが、反して、まだまだ時間がかかり帰れないと言う。
揉めていてなかなか落とし所が見つからないのか…と思いかけた瞬間、夫の次の言葉を聞いて脱力した。
いやさぁ実は今、○○(友人)の知り合いの先輩の土場にいるんだよ。4tがぬかるみにハマって動けなくなっちゃったっつって電話がきて○○と助けに来てるんだけど、なにやっても全然動かなくてさぁ!気がついたらこんな時間だよ。途方にくれて、建設やってる知り合いのトラック呼んでこれから引っ張り上げてもらうところだよ。まいっちゃったよ。辺鄙な山ん中で真っ暗だし寒ぃの!

作戦会議どころではなかったらしい。
その日は知り合いの先輩のトラックを救出するために、ずっと土場でアレコレがんばっていたのだそうだ。
6月に入ったとはいえ、信州の夜は冷え込むことがしばしばある。日中との寒暖差が激しく、身体が気温差についていけない。日中は長袖のシャツが暑く感じても、夜は寒くてもう一枚重ね着したくなるほどだ。
帰宅した夫は「寒ぃ〜」とつぶやきながら部屋に入ってきた。寒さで表情も身体もカチコチに固まっていた。

結局その後、作戦会議は行われることはなかった。

叔父の機械を一括購入できないのであれば、親戚なのだから話せばいくらでも融通は利かせてもらえそうだし、どう考えても3人での起業は違和感だらけだ。
フタを開けてみたら、お義父さんも同じことを考えていたらしく意見が一致した。
どうせなら、ひとりでがんばってみたほうがいいんじゃないかな。

多少の紆余曲折があって、夫はひとりで起業することに決めた。
後日そう聞くが早いか、夫はすでに起業のための資金繰りや必要経費なんかをパソコンで計算し計画し始めていた。あいかわらず行動が早い。

私なら、橋がかかっていない川を渡ろうとは思わない。渡れないと信じているからだ。しかも疑り深く、橋を叩き壊すことすらある。
一方、夫はといえば橋がかかっていなくとも向こう岸に行きたいと思えば、ものともせず渡って行く。たぶん自分を信じきっているからなのだろう。
それこそ最強である。

かくして夫は、ひとりで独立開業する道を歩み始めた。


vol.3へ続く。

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