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ひょいと流れに乗る|夫の独立開業つれづれ日記 vol.3


夫は、退職日を7月末日。
本格開業日は8月1日と決めていた。

ひとりで開業すると決めるや否や、夫は、開業するにあたり必要となるものをリストアップして、端から業者や友人に連絡して算段を始めた。

固定電話回線やインターネット回線の新設、複合機のリースに、パソコンの調達、印鑑の新調と専用口座の開設、融資や開業事業主への給付金申請のリサーチなどなど。
叔父から会計士を紹介してもらい、経理面や開業届についての相談にも足を運んだ。

同時進行で、会社に退職することを報告したり、引継ぎや書類の整理なども始めたようだ。
残業が当たり前だった夫が定時で帰宅するのが新鮮で、しばらくは日が沈まなぬうちに帰宅する夫がめずらしくて仕方なかった。私が、こんなに早く帰ってきちゃっていいの?と聞くと、辞めてく人間を頼りにしてるようじゃこの先ダメになってくだけだからサッサと帰ってくるよ、と夫はスッパリ言った。

最初は慎重に、退職の意向を信頼できる2〜3人に伝えた。次に社長へと報告して、社員に周知となったようだ。夢が叶ってよかったですね!と応援してくれる人、辞めた後の後任を見つけてから退職しろという人、よく嫁さん許してくれましたね〜という人に、いろんな反応があったみたいだ。社長は退職の話をしたらムスッとした表情をしていたが、最後には、なにか困ったことがあったら会社が後ろ盾になるからがんばれと背中を押してくれたという。
付き合いの長い営業の人からは、仕事とってきてまわしてやるから任せろと言われ、IT関係に強い人は、CAD・CAMを搭載できるだけの容量がある程度のいいパソコン探しをしてくれた。
自動車の修理板金をしている友人には、業務用の軽トラ探しをお願いし、工場の空調設備も友人に頼めるのだそうだ。

夫はひとりで動いているけれど、実際にはいろんな場面でなんの見返りもなく快く手を貸してくれる人たちが周りにはたくさんいるらしい。
いざ、ここぞ、というときに頼れる人がいてくれるということがなんと心強いことか。

職場での夫や、友人と居るときの夫の姿を私は知らない。
「ただいま〜」と家に帰ってきてからの夫が私の知っている夫だ。夫は帰宅すると夕食をとりながら、その日にあった会社での出来事をあれこれ話してくれる。話の中でしばしば、今日こんなことがあってイラついてまた社員を怒鳴っちゃったよ〜という言葉を耳にすることがあった。事情を聞けば夫の心情もわかる。

俺、短気だからさ、すぐ怒鳴っちゃうんだよね。
上司だろうが部下だろうが、道理が通ってなければ誰にでもくってかかったという。でもさすがに役職があがるにつれ、そういうことは減っていった。意識して、そうしないようにしていたのだろう。それでもどうしても我慢ならなかったときは大きな声をあげた。
新しく入社した社員なんかは、夫の顔色をうかがいながら仕事の報告にくるという。自分が怒鳴られたわけではないけれど、大きな声をあげているのを目の当たりにしたり、他の人から「工場長ってこんな人」みたいな噂を耳にすれば多少なりとも萎縮せざるを得ないのかもしれない。会社では、話しかけづらい上司なのだと自覚している。
一方で、怒鳴った分だけ人の気分を和ませる雰囲気づくりも欠かさない。ちょっと笑える冗談を口にしたり、自分の失敗をおもしろおかしく話すことで重い空気に風穴を開けている。夫なりに気を遣っているのだろう。

このことがきっかけで、会社や友人との間の、夫の人柄を伺い知れるいい機会となった。

毎朝、日が昇る前から誰よりも早く出社する。雪が降れば社員が出社する前に除雪したり、夏場は汗だくで会社周りの草刈りをした。現場の人間を仕事以外の雑用に充てると生産力が削がれるから、管理職の自分が雑用をやればいいと言って率先してやっていた。
日本の管理職といえばだいたい月給制の固定給で、早出残業をしても休出をしても手当は余分に付かないしくみが一般的だろう。会社側にとっては都合のいい仕組みだ。
がんばったらがんばった分だけ報酬や評価に反映されたうちはやり甲斐もあろうが、今となってはどこにやり甲斐を見つけたらいいのか戸惑うこともあったのかもしれない。部下や後進の育成、会社の強固な体制づくりなどは、やったらすぐに結果が出るものではなく、そこから最低でも5〜10年後くらい経ってやっと変わってきたと実感がわいてくるものではないだろうか。
やり甲斐がまったくないわけではないが、夫のやりたいこととは違っていたのかもしれない。

さらに先々月の5月初旬、夫が手がけている業務を改善して後進につなげようと力を注いでくれていた方が病気により他界された。病気が見つかってから入退院を繰り返していたそうだが、1年も経たずに旅立たれてしまった。
その方は顧問という立場で、週イチで夫にいろんなことを指南してくれていたらしい。熱心な方で、夫の意見や考えを聞き出しながら細かく丁寧に説明してくれていたようだ。誠実な方だけに、思いつけば業務外でも長々とLINEで説明文を送信してきた。夫は、時間外なのに…と疎ましく思ってはいたが、尊敬し信頼を寄せていた。
その顧問が他界されたことも独立開業するきっかけとして、決心の後押しになったのかもしれない。
休みの日に時間を見つけて、顧問の墓前へ退職と独立開業の報告に行ったらどうかと提案してみた。

話は急に変わるが、しいたけ占いをご存知だろうか。

じつは私、密かに毎週の更新を楽しみにしている。話し口調のような独特の書き方で、なんていうかこうケロっとした感じが読んでいておもしろい。
先月、2021年の下半期しいたけ占いが配信された。
星座別になっていて、自分の星座の下半期占いを読んでみて、やっぱりおもしろいとにんまりと笑ってしまった。とはいえ、占いをすごく頼りにしているわけではなく、テレビを観るのと同じでエンターテイメントを楽しむ程度である。

このおもしろさを夫にも知ってもらいたくて、夜ウトウトしかけている夫に読んでみるよう勧めた。
私が夫になにかを勧めるときは、遠慮とか気遣いが介在する余地がないらしい。めっちゃ強引だよね!?これはほぼ強制なの!?とよく訊かれる。残念なことに私自身の自覚症状は薄い。
眠くて仕方ない夫に、読んでみてみて!とスマホを差し出すも、また明日にしようよ〜と断られる。でもへこたれない私は、音読をして半ば強制的に聞かせてあげることにした。

読み始めると、書かれている内容に驚いた。しいたけ占いと夫のシンクロが半端ないのだ。あまりにも言い当てられているようで、私の音読をおぼろげに聞いていた夫が「おぉ〜…」と感心の声をあげた。

タイトルからしてドンピシャだった。
“大きな入れ替わり時期。
新しい物語を笑顔で迎える。”

そのほかにも印象に残るキーワードがそこここにあった。
“自分なりの新しいスタートを祝おうとしている“
“過去との決別、未来への決意“
”初めての経験をする“
”7月は「移行準備期間」“
”8月は「新生」“
などなど。

たまたまかもしれない。
だけど、これを読んだときに夫も心の中で「よっしゃ!」と拳を握って確信したのではないかと思う。と同時に、なにか大きな流れにいつのまにか押し流されている感覚にもなったのではなかろうか。少なくとも私はそう思った。なんとも言えない不思議な気分だった。

ともあれ夫は、意図せずともひょいと流れに乗っていた。流れ着く先はまだまだ見えない。
いや、ゴールが見えないからこその醍醐味だろう。


vol.4へ続く




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