「目の前に“分かれ道が2つ”。その先にあるのは、“恐れ”?それとも、“希望”?」~“岐路”に立つときの“判断基準”~
皆さん、こんばんは!えりです。
本日も、お越しくださり、ありがとうございます🙇
本日は、皆さんに、ちょっとしたご報告から。
しばし、お耳をお貸しいただけると幸いです👐
どんな内容なのかというと、「今後の記事投稿の“スタイル”を、少し変えてみたい!」
シンプルにお伝えしますと、こういったところです。
“綺麗な言葉で飾り立てた文章”ではなく、もっと“リアルな生の声”、“自分の正直な思い”を、よりダイレクトに、皆さんに、お届けしたいからです。
私は、これまで、「“言葉を大切に”扱いたい。」
そんな思いが強く、それに、縛られてしまっていました。
その背景には、私自身が、これまで、“言葉により、幾度となく傷ついてきた”という経緯があるのですが、、、。
だからこそ、その気持ちが強すぎるあまり、“表現”、“一つひとつの伝え方”に、常に、気を遣っていました。
言葉というものは、本当に、“センシティブ”なものですから、、、。
“言葉選び”、ひとつを取っても、「この表現で、不快になる人はいないだろうか?このフレーズ、ちょっと大袈裟かなぁ?💦」
といった調子で、“言葉尻”など、細部に至るまで、神経を尖らせていたのです。
そして、終いには、この投稿自体が、自分自身にとって、いつの間にか、大きな大きな負担と、化していたのです。
私が、“発信”を通して、“社会”に。
と言うと、少し大仰すぎますが、、、。
見てくださる方に、“本当に、伝えたい”のは、どこかから、“貼り付けたような綺麗な言葉ではない”。
そう。“誰かから、拾ってきたもの”を、そのまま、受け渡すような。
「そんな、フィルターをかけたような、“つるぴかの加工品”が欲しいんじゃないんだ。」
「私が、聞きたいのは、もっと“ザラザラとした手触りのあるもの”。手を伸ばしたら、触れられる“実体のある言葉たち”。」
「“キラキラしてなくてもいい”。いや、寧ろ、“してないほうがいい”。」
「“泥臭く”、スマートではない。」
「だが、良い意味で、“人間味溢れる”、そんな“不器用なほどの真っすぐさ”。」
私が、“絶望の淵”にいたとき、“本当に求めていたもの”は、ベールで包まれたような、“その場しのぎの優しさ”ではなく、“真実”だった。
それは、もっと、“痛みを伴うリアル”。
「“同じ痛み”を知りながら、それを“乗り越えようと、必死にもがく”ファイターたちの声。」
「そんな“リアル”を、届けたい。今、“たまたま道標を見失い、独りぼっちだと思ってしまっている人へ”。“一人でもいいから”。」
「それが、“私の原点”だったんじゃないの?」
これまでの投稿を振り返る中で、“大切な信念”を、いつの間にか、忘れかけていたことに、ふと気づかされたのでした。
というわけで、これからは、「皆さんに、もっと、“私という人間のパーソナルな部分”、キャラクターを知っていただけたら!」
そんな思いから、“血生臭い”、“ドロドロ”や、“カッコ悪い失敗談”等々…。
「“等身大の私”を、発信していこう!」
そう、“覚悟を決めました”💗🔥
それが、“彷徨える人の手元灯”になると思うから。
そして、同時に、“過去の自分も救うことになる”と思うから。
とはいえ、勿論、“誰かを、傷つけるような表現”は、避けるよう、“言葉には、責任を持つ”所存です。
それに加え、「“私と似た傷を抱える方にとってのひとつの居場所”として、“この場を提供したい”。」
「“私のちっぽけな声”が、“ロールモデル”として、“誰かの立ち上がるきっかけ”になれたら。」
「“あなたは、独りじゃないよ”。ここにも、ひとり、“サーファーがいるよ”。」
“この声”を届けたい。
そうした“根底にある思いは、これまでと変わらず”、しかりと、胸の奥で、“穏やかな炎を燃やしております”ので、どうか“ご安心ください”。
ということで、これからも、“初心を忘れず”。
そして、何よりも、“支えてくださる皆さんへの感謝の気持ちを大切に”。
“地道な活動”を続けて参りますので、温かい目でお見守りいただけると幸いです。
さ~て、本日は、早速、メインテーマから、参りますよ~!
皆さん、どうぞ、しばし、お付き合いを🍀
「“通所中の事業所”を、“一旦、辞める”ことにしました。」
利用を続ける中で、気づいた“本当の私。”
私は、つい先日、“あるひとつの大きな決断”をした。
他の人から見たら、大したことでもないのかもしれないが、“私にとっては、かなり重要な問題”だった。
それは、「現在、“通所中”の“就労移行支援事業所との契約を、終了”すること。」
その“事業所とのご縁”は、“心療内科の主治医からの一言”がきっかけだった。
「もう一度、“働きたいけど、社会に出るのは怖い”。」という私の訴えに対し、、、。
「それじゃあ、こういうところがある。」
「“うちの患者の中にも、利用している人が多い”から、安心だ。」
「一度、“問い合わせだけでもしてみたら?”」
初老のお医者さまは、宥めるように、穏やかな口調で、そう、おっしゃられた。
帰宅後、いただいた“事業所のパンフレット”を、恐る恐る開いてみた。
“表紙”には、“明るい表情で、こちらに笑顔を向ける女性”。
学生時代によく見た、“新卒就活サイトの案内ページ”が、頭をよぎった。
そして、ページを捲って、まず、“一番に目に飛び込んできた言葉”は、、、。
「“本気”で、“就職を目指す障害者”のための就労移行支援事業所。」
「“本気で就職したい!”」こう、大きく掲げられたこのワード。
「ああ。やっぱり、そういうところか。」
“会社へのトラウマ”が、抜けきらない私の心は、この全体から、“ひしひしと伝わってくる王道ともとれる前向き感”に、“興醒めしていく”のを感じた。
「“就職”…。また、あの“恐怖の渦に、飛び込まなくてはいけないのか”。もう、“あんな感情は味わいたくない”。“私には、無理そう”だな。」
そう、“半ば、諦めながら”、“裏表紙”に、ふと目をやると、、、。
そこには、「『あなたの“障害を生かし、自分らしく働く”』ことを、全力でサポートします。」
そう、添えられていた。
「もう、“ほとんど諦めるつもりでいた”けど、いやいや、“まだ、早いかも?”決めるのは、“一度、覗いてみてからでも、遅くないかな?”」
そう、“モヤモヤ”を抱えながらも、“気持ちを奮い立たせ”、震える手で、TELと書かれた番号を押してみた。
電話口から聞こえてきたのは、落ち着いた男性の声。
“淡々とした口調”に、“一瞬、怯みかけた”が、「ここまで来たら、しょうがない!」そう、“意を決して”、まずは、自分の今の状況のことを、お伝えした。
その後、簡単な説明を受け、“見学の日取りも、その場で、決めてしまった”。
相変わらず、“強い不安”や、“違和感”は拭えなかったが、「“えいや!”そんな気持ちで、“飛び込んでみる”ことにした。」
昔から、“酷く怖がり”なくせに、“見切り発車”で、飛び込む“謎の勇気”だけはあった。
真夏の日差しが、じりじりと照りつける、お盆明けの真っ昼間。
目的の場所に、辿り着いた。
「やっぱり、“来なければ良かった”…。いざ、出てきたものの、“ドアを前にした瞬間”、一気に、“恐怖が襲ってきた”。」
「スモークガラスのようになっていて、“中の様子を、まったく伺い知れない”のも、更に、私の“不安感を増幅”させた。」
“バクバク”と、今にも“飛び出しそうな心臓を、何とか抑えながら”、ドアの開閉ボタンに手をかけた。
入口で、私を出迎えてくださったのは、“底抜けに明るい笑顔の男性”。
どうやら、電話の男性とは違う方らしい。「この方が、“ここの所長さん”か。」
つい先程まで、“身体全体にのしかかっていた重たい緊張感”が、“一瞬、緩む”のを感じた。
簡単に、その場で、所長さんを始めとする職員の方々と、挨拶をかわし、面談室へと、案内された。
そして、“施設のルール”や、“カリキュラムの内容”などについて、一連の説明を受けた。
話を聞いているうちにも、「“オフィスワークシュミレーション?”」、「“軽作業訓練?”」というワードに、「“ん?”」と、いちいち、“引っかかてしまった”。
「やはり、ここは、“一般的な会社への就職”を、“本気で目指す人が来るべきところ”なんだ。」
と、“最初に抱いた違和感”が、“更に、膨れ上がってしまった”。
しかし、「“諦めるのは、まだ、早い”。ここで、“訓練を頑張れば、また、会社に戻れる日が来るかもしれない”。“この人たちを、信じてみよう”。“もう一度、頑張ってみよう”、、、!」
そんな“一縷の望み”に、かけてみることにした。
その姿は、“しっぽさえ見えなかったが、見えると信じたかった”。
それに、当時の私は、まるで、“迷子のように、自分を見失っていた”。
だから、“誰か、私に、道を示してくれる存在が必要”だった。
“ひとりでは、巨大な闇に飲み込まれそう”で、立っていられなかったのだ。
「ここを、逃したら、“他に行く場所なんて、どこにもない”。」
「“世の中から”、完全に、私は、“見捨てられてしまう”。」
「ここに、“縋りつくしかない”。」
そんな“極端な思考に囚われた”私は、“小さいが、確かな違和感”を、“胸に抱えたまま”、“通所を決断”してしまった。
「いつかは、“この胸のつっかえが、取れるはず”。」
そう、“必死に、自分に言い聞かせた”。
“小さな悲鳴を上げ続ける心の声”を、“抑え込むように無視して”。
しかし、その“つっかえ”は、“一向に、取れる兆しは見えず”、それどころか、“じわじわと肥大化”していった。
そして、ついに、“息ができなくなってしまったのだ”。
“閉じ込めていたはずの声たち”が、“暴れ出し、制御が利かなくなる”。
「“いつものこれだ”。“会社に勤めていたときから、いつもこう”。」
「“最後”は、これまで、“溜め込んできたものが爆発”するかのように、“全てが手につかなくなる”。」
こうして、“事業所での訓練を重ねていく中で”、「“自分には、集団は向いていない”。“会社”は、“私の目指すべきところではない”。」
そう、“残酷ともとれる事実”を、“まざまざと突きつけられた瞬間”だった。
そこで、私は、“一度、立ち止まって”、考えてみることにした。
「“自分は、これから、どうしたいの?”“どこ”で、“誰”と、“どんなことをして”生きていきたいのか?」
「自分にとって、“本当に大切にしたいことは何か?”」
こんな“問いの解”を、“何度も、頭を打ちつけながらも”、必死で、“ただ探し続けた”。
“この解”を、何とかして、“見つけ出さなければ”、「私は、また、“先の見えない渦の中に、飲み込まれてしまう”。」
そのくらい“切迫していた”。
「私は、“まだ、生きていたい”。“見たい世界が、たくさんあるから”。」
そうして、“もがいた先に、見えたもの”は、「やはり、“会社”という大きな“組織の一部”として、働くのではなく、“自分というひとりの人間として、生きていきたい”。」
“こんな思い”だった。
「“フリーランス”として、“ひとり一人との関係を大切に、丁寧につながっていきたい”。」
「“小さくてもいい”。」
「“私にできること”は、そんな、“社会に空いた小さな隙間を埋めること”。」
“ただそれだけ”。
こうして、“煮詰まるギリギリ”まで、悩み抜いた結果、“ビジョンを思い描けた”のは、やはり、“独立”して、“社会の片隅”で、“細々と活動している姿”だった。
“会社”という、“私にとっては、一種の檻のようにさえ感じられるもの”の中で、“多くの人たちに揉まれながら”、“流されないよう、立っていられる自信”など、“全くなかった”。
逆に、“上手く潮流に乗っている自分の姿”も、“幻影でさえ描けなかった”。
「そもそも、“そんなふうにはなりたくない”。」
“ただのワガママ”に聞こえるかもしれないが、“自分の中”に、確かに、こう“強く反発するもう一人の自分”がいた。
だから、私は、“勇気を振り絞って”、そんな、“もう一人の自分の声”に、“耳を傾けてみることにした”。
それが、“本来の自分の姿”なのだと思う。
「これまで、“ずっと、無視してきて、ごめんね”。辛かったよね。」
私は、“顔を真っ赤に染めて、泣き続ける赤ん坊を、そっと抱きしめた”。
どちらの道を行くにせよ、“苦悩はつきまとうものだ”。
「それならば、自分は、“どんな環境”で、“誰”と頑張りたいのか?」
そう、“自問自答を繰り返した”末に、“私が、辿り着いた解”。
それは、「“自分が、呼吸できる場所を、自分で創る”。」
そんな、“極めて、シンンプルな答え”だった。
こうして、私は、約1年近くお世話になった事業所を、去ることとなった。
今いる場所を、“離れることで”、確かに、“物理的に失うものはある”。
しばらくの間、“身を置いていたら”、それなりに、“情というものが、湧くものだ”。
だから、これまで、“私と関わってくださった利用者さん”、“支えてくださった職員の方々”と離れてしまうのは、“正直、胸が痛む”。
でも、「ただ、“目の前から、その姿が消えてしまうだけ”で、“存在そのものが、消えてしまうわけではない”。」
「“心の片隅”には、これからも、“変わらず、存在し続ける”。」
それに、「“経験”というものは、“決して、消えることはない”。」
だから、「“ここでの経験”も、“大切な記憶”として、私の心に、“残り続けるだろう”。」
その代わりに、私は、“自由な時間を得る”ことができた。
“この時間”を、まずは、“壊れてしまった自分自身を治すこと”に、“目一杯、割いていきたい”。
“ボロボロ”になって、改めて、「“心身が健康であるということ”が、“私たちの人生において、最優先事項”なのだ。」ということを、思い知った。
「“急がば回れ”。」という言葉があるように、“この機会”に、“思いっきりやってみよう!”と思う。
「これまで、“自分がずっとやりたかったことを”。」
まずは、“心の勉強”を。そして、“栄養”のことも。
“知り合いの方の手伝い”。
そして、「“心を怪我してしまった人たち”にとっての“止まり木のような場所”、そんな“居場所をつくること”。」
“ひとつずつ”、“とにかくやってみよう”と思う。
それが、「きっと、この“事業所での経験”を、“次に、繋げる”ということになるはず。」
“そう信じて”。
そして、“何よりも大切なこと”は、「この“事業所で過ごした時間”は、“無駄ではなかったということ”。」
当時、“傷だらけ”で、“自力で立つことすらできなかった私にとっては”、“必要な時間”だった。
そんな、「“束の間の羽休めの場所”として、“私を、温かく受け入れてくださった”この事業所に、私は、“最後に、感謝の思いだけは伝えてから、次の道へと進みたい”。」
今、“素直に、そう思う”。
“ここでの経験があったからこそ”、“本当の自分と出会うことができた”のだから。
そんな、“立ち止まる機会を与えてくださった職員の方々”に、私は、今、“お礼参り”のような形で、“おひとりお一人”に、“お別れの挨拶”をさせていただいている。“感謝の気持ちを添えて”。
もう、“これまでと同じ後悔はしたくないから”。
“人との縁”というものは、“一期一会”。
だが、“不思議なもの”で、回りまわって、また、“どこかで交じり合うこともある”。
だから、「“別々の道を行く”にせよ、“お互いに、わだかまりの残らないような形で”、気持ちよく歩み出したい。」
これが、“私の去り際の美学”だ。
ではでは、本日のお話は、この辺りで!
本日も、長らくお付き合いいただき、嬉しい限りです😊
この頃は、“ムシムシ”、“ジメジメ”。
めっきり、“梅雨本番”という気候になってきましたね🐸
雨の日も続き、“この時期”は、どうしても、“気持ちが沈みがち”なんて方も、いらっしゃるのではないでしょうか?
でも、ご安心くださいね💛
「あなたは、“独りじゃないですから”。」
「私も、“鬱々”したり、“イライラ”したりしながら、日々、“何とか生き延びております”から。」
だから、「“うだつの上がらない一日でもいいんですよ”。」
「“存在しているだけで、偉いこと”。」
「今、“あなたが、ここにいる”ということは、必ず、“何かを、乗り越えて来ているはず”だから。」
それでは、また、次回、お会いしましょう~🌛