30年前のパニック体験がわたしにもたらしたもの。
今思い返せば、昨年の冬至あたりから立春を過ぎた2月の半ばまで、自分の深いところにずっと漂っていた鬱々とした感覚、イライラする感覚が表に現れてきていたんだなと思う。
その鬱々イライラする感覚は、私に気づかれないように私を乗っ取り、少し気に入らないことがあると旦那さんに八つ当たりするという行為を繰り返した。
ずっと心が晴れない理由を「旦那のせい」「陰のエネルギーが強い土地や家のせい」にし、そして「どうしたら変えられるのか」を考える日々を送っていたように思う。
そんな鬱々イライラしていた日々は、あることに気づき癒しが起きたことで、頑固にこびりついていた汚れがすっかり流れ落ちるように、鬱々イライラをどこかに洗い流し、わたしの心をオープンで晴れやかで軽やかな状態へと変化させた。
この変化は、大きなトラウマ体験とも言える幼少期のわたしの痛みが初めて癒されるという体験によるものだった。
小学生の頃、私は学級委員を担当するのが好きだった。全体をスムーズに進めることが好きだったし、そういうことが得意だという自負もあった。
小さい頃から、みんなと楽しく遊ぶのが大好きで、母からの話を聞く限り、みんなの中心にいる面倒見のいい仕切り屋さんだったように思う。
たしかあれは、小学5年生だったと思う。ある日、クラスで決め事をしていく時間があって、いつも通りにその司会進行をしている時にクラスメイトたちから総スカンされたのだ。
内容は覚えてないし、どんな言葉や態度があったのかも薄らしか覚えていない。でも、わたしに残っている感覚は、みんながボイコットを起こしたような、わたし自身への反発が起きたという感覚で、今でもそのシーンがカラフルにありありと思い出される体験だった。
旦那さんのサポートを受けながら、そのトラウマ体験の時にわたしに一体何が起きていたのかを紐解いていった。
クラスメイトから総スカンされたと感じた小さなわたしは、その時に何が起きたのかまったく理解ができず、頭が真っ白になっていた。まさに、パニック状態だった。
さっきまで普通に話していた仲が良いと思っていたクラスメイトたちが、急に態度を変えたように感じて、どうしてこんなことになったのか、みんなの心に何があるのか、いつからみんなにそういう考えや感情があったのか、どこで私は間違えたのか。。
これまでの自分の言動やクラスメイトの言動を、もっと言うと「人間の表に出てくる言動」を信じられなくなった出来事だった。
人も自分も信じることができなくなったわたしは、それからというもの、人の顔色をうかがって愛想笑いをして、そして愛想笑いしている自覚があるから、愛想笑いをしていることはバレないように頑張って、、ということにとてつもないエネルギーを注いで生きるようになった。
この出来事以来、私は自分でこの世界をグレー色に塗りつぶしたのだと思う。
そういう、トラウマ体験だった。
そんな小さな自分が感じた”パニック体験”は、30年もの間、私の奥深くに封印された。
そんなパニックに陥った小さなわたしに、今のわたしが寄り添い、ただただ一緒にいて、そして小さなわたしに声をかけた。
「そうだよね、何が起きたか分からないよね。とっても怖いよね。」
「大丈夫だよ。もう一人じゃないから。大丈夫だよ。」
そうして、わたしは朝の布団の中で号泣した。
初めて、その小さなわたしに寄り添ってあげることができた。
あぁ、あの時のわたしは本当にどうしたらいいのか分からなくてパニックになっていたのだと、30年経って初めて気づくことができた。
初めて、小さなわたしを客体化できたのだ。
「言葉で繋がりたがる私」
「自分の想像の範囲を超えることへの拒否抵抗」
このふたつの私の特徴は、まさにこのトラウマ体験を元に発動しているものだった。
相手がどう感じているのか、私が本当にはどう感じているのか、これらを確認して、ズレを一致させていったり、違いを理解し受け入れていくことが、私にとっては相手と繋がる上で、とても大事なことだった。
でも、この行為は、私が安心を得るための行為だった。
相手の意向を確認することは配慮とも言えるが、「どっちでもいいよ」「好きなようにしていいよ」「何もないよ」と言われると、「いやいや、何かはあるでしょう?それを言ってよ」「もっと合意形成したい、そこから一緒に創り出したい」と言って、相手に意見を出すことを求め強いる自分がいた。
この行為は、自分が小学生の時のパニック体験と同じような体験をしないようにするために、自分を守っていた行為だった。
言葉で合意し繋がることで、自分の安心を得たかったのだ。
(旦那さん、いつも強要していてごめんなさい)
そして、自分の想像の範囲を超えることへの拒否抵抗。
新しいことを始めるとか、どうなるかまったく想像つかないことをやってみるとか、そういう未知へのチャレンジを中々やれないわたし。
外から見たら、無鉄砲でやりたいことをやっているように見えてるかもしれないけど、わたしの中ではある程度予測ができる範囲でのチャレンジがほとんど。
何か起きても自分で責任を取れると思える範囲でしか、チャレンジしない。
だから、大きな失敗はしないし大きな成功もしない。
自分の弱さを曝け出して、みんなに助けてもらったり、応援してもらったりするようなチャレンジをしない。
そんな風に、自分の枠を小さくして、自由や可能性を小さくして、その代わりに、”予想外のことが起きない安心”を得て生きてきたのだ。
そんな、人生体験をずっとしてきたのだなぁと思う。
あのパニック体験を通じて、”わたしが本当に感じていること”に蓋をしていく経験を積み重ね、自分は本当には何がしたいのか?が分からない人間になっていった。
そして数年前の30代半ばのわたしは、「何かが違う」「わたしの命をこれからどう使ったらいいのか」という衝動的な感覚が抑えられなくなり、”わたしの真実”を探し始めた。
そうして、今回の癒しと理解が訪れたのだ。
こう振り返ってみると、人生経験というのは、本当に笑ってしまうくらい、自作自演だなぁと思う。
でも、こういう自作自演の体験を経て、わたしはわたしという存在を理解し、人間が何たるかを理解し、その理解と共に今のわたしが存在している。
そしてきっと、この理解や体験はわたしへのギフトであり、誰かへのプレゼントになっていくのだろうと思う。
人生は面白い。
この気づきを得た、これからの人生が楽しみだ。
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