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#27' 追記 望む人生のこと

こちらの記事で望む人生を生きるには責任と覚悟が必要

みたいなことを書いていますが、私自身、以前「自分の人生の責任をとる」という言葉に抵抗感があったので、ちょっとだけ追記。

まず「望む人生」というと、「やりたいことがありません(わかりません)」とか、「自分の望みが何かわかりません」という人や、何か社会や人のためになることをする「お役目」があるんじゃないかと、戦々恐々とする人もいるかもしれないのですが、そんな大したことではなくて。。。

やりたいことがないとすれば、もしかするとそれを見つける、知ることが「今の」望みかもしれないし、とくに何をしたいというより、「のんびり日々過ごしたい」や「安心していたい」や「愛されてるって感じたい」ってことかもしれません。

「ごろごろ寝ていたい」が望みでもいいし、「いろんなところに旅行してみたい」でもいいし、「素敵な人と恋愛や結婚したい」でもいいし、「お金がいつも十分ある状態になりたい」でもいいのです。

ここは自分に正直に
「えーそんな何の役にもたたないことでもいいの?」
「えーそんなエゴ丸出しでいいの?」
「えーそんなヤラシイことでもいいの?」
ってことでもなんでもいいんです(笑)

小さな望み
自分だけの楽しみ
エゴエゴしちゃってること

そんな望みを持つことを、もしダメだと思っているとしたら、それは実は自分自身をダメだと思ってるに近いかんじなので、まず思い切って許可を出すことをオススメします。

で、そういうちっちゃなエゴエゴしてる(かもしれない)望みは「今の】自分の望みであって、それをを認めて満たしていってあげると、だんだん大きな望みだったり、魂がやりたいと思ってることに近づくというか、それがわかるようになってくる感じ(というのが私の体験)です。

望みって進化するというか、変化していきます。
そしてそれでOK。

いきなりフルマラソン走ろうとしてもゴールは遠くて見えないけれど、まずは100m, 次500mというように、一個一個超えていくとだんだんケシツブのようなものが胡麻粒くらいになって、大豆くらいになって、ゴルフボールくらいになって。。。そしていつの間にか目の前にきてる。

人生死ぬ時に、あ、私はこれをやりたかったんだなとわかればそれでOKくらいの気持ちで「今の」望みを一個一個見ていってあげると魂さん(結局自分だけど)も喜ぶ感覚があります。

とはいえ、私自身も自分の魂が何を望むのかわかってるかっていうと、まだこんな感じじゃないかなー程度ですが、状況が結局それをやることになっていくんだね。。。という風に動いていくし、それを選ぶことがとても自然な感覚だし、怖さはまだちょっとあるけれど、避けようったって結局はやるよねという感じ。(伝わるかなぁ。。。)

なので、どーんな小さいことも、くだらなく思えることも、望むなら、まず望んでいる自分をよしよししてあげて、叶えていくと、だんだんに凄腕経営者になれる(はず)!!!

以上追記でした。

2023/2/15 ジャーナル2


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