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みんな何かの何者かになりたい

note歴2ヶ月の新人が思うこと

noteを始めてから2ヶ月が経った。

自分で書いてみたり、他人の記事を読んでみたり、コメントしてみたり、読んだらスキを押してみたり、なかなか楽しんでいる。

noteを読んでいくうちに思ったことは、驚くほど”悩み”と”愚痴”が多いこと。若い人も新卒の人も転職の人もお母さんもシニアもマダムも。日常の愚痴から「おっと、この人大丈夫か?」と思うくらい深刻なものまで多種多様。対してそれらの相談内容には、またそれぞれのアドバイザーの記事があって"こうであると良き"なんて書いてあったりするが、必ずしもそれが答えとは限らない。
論理的に解説されたのち、「実行するかしないかは、あなた次第ですよ」みたいな感じで終わる。そう、結局は自分の人生、自分で決めなくてはいけないのだ。
胸の内を言語化することで心の整理がつくところが、私もブログのいいところだと思っている。自分の悩みをネットの世界に発言すると、どこか知らない誰かさんが共感してくれて、それがすごく急降下中の苦しい時に読むとものすごく嬉しくて、何度も何度も「次のコメントはいつ来るのかな」とひたすら更新されるのを待つ。
この認められたい欲求願望、今も昔もきっと人生ずっと変わらない。

noteを書いている作者さんを検索すると「何者になりたい、なれない」と多くの記事が表示された。みんな考えている。みんなそれぞれ悩んでいる。私からすると難しいテーマで自分を分析しながら、言葉としてまとめる能力に加えて小説のごとく言葉を巧みに操るテクニック、noteすごすぎる、と思いながら読んでいる。私の中ではみんな何者かになっている。

みんな認められたい

私もずっと「何者かになりたい」と思っていた。

褒められたい、尊敬されたい、これだけは絶対負けない武器がある、絵が上手いって言われたい、賞状がほしい、1位になりたい、成功者になりたい、有名になりたい、肩書きが欲しい、役職が欲しい、名前を知って欲しい、バズりたい。プロになりたい。

幼少期からの欲求願望、書き出してみたけど
ほとんどの人が当てはまるのでは。

がむしゃらに生きていた学生時代、働いていた時代、
何かしら目標があってそのために生き抜こうともがいてきた。
その時に生まれた欲求たち。これらは残念なことにほぼ達成されていない。

仕事を退職して専業主婦になってから、自分について考える時間が増えた。
もしかしてこのまま仕事しないで家にいたら、人間関係も希薄のまま、毎日ご飯を作り家事をこなし、スーパーで買い物をして、たまにオシャレをして街を歩くだけ。みんなが知らない間に怪我して病気して、ある日亡くなった時、私はどんな気持ちで目を閉じるんだろう。

「私って一体何者になりたいんだ?」

一人の専業主婦が思うこと

専業主婦ってネットでは実働24時間だー専業主婦は忙しいんだーなど、いろいろと言われているが、ワーママ、専業主婦どちらも経験した身としては
やっぱり専業主婦って、自分について考える時間が多くなるのだ。
それも哲学的な方向へ行くことが多く、ちょうど昼時の手が空く時間にふっと脳内がマイナス思考化されるタイミングが突然訪れるのだ。私の場合は「収入がない自分、働いてない自分」を恥じ、SNSで流れる専業主婦サゲの言葉を読んで勝手に傷つき、そこから「私とは?」の壮大なテーマで考えつつも毎回答えは見つからず。ぬるくなったコーヒーを1口飲み、ワイドショーを見ながら洗濯物を畳む。そのうち娘が帰ってきて午後の部始動、という流れになる。

生きた証として爪痕を残したい

いろいろ考えていくうちに辿り着いたのが
「社会に名を残したい、生きた証として私が存在したという爪痕を残したい
というのが私の結論である。
要は忘れられたくないのだ。自分がここに生きていたことを誰かに知っていてほしいということ。

だから、みんなそれぞれが思う何者かになりたい。
だからこそ仕事で成果を出して認められたいって思うし、
子どもだって1位になって親に褒められてすごい子がいるって思われたい。
主婦だって夫からたった一言「いつもご飯ありがとう」と言われるだけで「ああ、私がやったことはあなたに認められたのね」って思えるからすごく嬉しい。感謝の言葉があるだけで主婦って救われる。
(うちは毎回この話を夫にしているが心に響かないのか「おぉ」と回答なのか反応なのかそれとも鳴き声なのかよくわからない声を発した後、書斎に籠る。)
夫がこんな状態でも子どもは違う。ご飯を作ると黙々と食べ、習い事の送迎を頼まれて帰りにはお菓子をねだられる。感謝の言葉がなくたって、ただただ"自分のことを頼ってくれている"と思えるから母は育児だって頑張れる。

何にだってなれる

今はどうしても身動きがとれなくて”専業主婦”な私だけど
そのうち時間を作って働きに出たいとは、思っている。
何者かになるために。

それまでは主婦として、母として、一人の人間として
"この家族が安全に無事に暮らしていけるように生命維持活動を続ける者"として生きる。

何者って、結局ポリシーみたいなものだと思う。

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