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特別企画展「異界彷徨―怪異・祈り・生と死」~やっぱり理由がないのが怖いよね
大阪歴史博物館の「異界彷徨―怪異・祈り・生と死」を見てきた。
大阪歴史博物館はNHK大阪の隣なので、どーもくんの絵や朝ドラの宣伝のパネルを横目に歴史博物館へ行く。
常設展と同じ値段で特別企画展も見られるが、常設展は何回も見たので特別企画のみ見る。
特別企画展「異界彷徨―怪異・祈り・生と死」とは、妖怪や怪異、信仰や呪術にまつわる展示を行い、そこから人間の営みを考えようという企画展だ。
人はなぜ「異界」つまりは目に見えない世界に惹かれ、神を信仰し、妖怪を描き、まじないを行ったのか。
主催が大阪歴史博物館なので、展示物は大阪、もしくは関西近辺にまつわるものが多い。
この展示のメインコンテンツといえば何と言っても大阪にまつわる信仰、怪異である。
観覧の途中で現れたのは、昭和15年の恵方巻の宣伝のチラシ。恵方巻は関西圏がルーツの文化で、「にこにこ笑いながら恵方に向かって巻き寿司を丸被りする」というのも一種のまじないだが、商人もその「まじない」に乗っかって売ろうとするところが商魂たくましい。
また、昭和15年には恵方巻の文化が存在したこともわかる。
うめきたを掘り返したら白骨が出て来た、という写真パネルで示されている大阪七墓の展示は、死者を葬る墓地を怖れると同時に、肝試し的な怖いもの見たさも存在していたことをうかがわせる。
大阪七墓は、その名の通り大阪にあった七つの墓場を指し、七墓巡りをすることで、功徳が積めるという風習があったらしい。
うめきたから出土した副葬品は、古代のものというわけではないのに埴輪っぽくてかわいらしさがあった。
大阪で信仰されていた神社、寺院のたぐいも紹介されている。
絵馬は神社に馬を奉納していたのを、絵の描かれた板で代用したものだが、祈りの内容に応じて様々な絵柄がある。昔は印刷技術がなかったので、絵馬の一枚一枚が手描きだ。大量に絵を描いているからかなんとなくゆるい絵柄である。
住吉大社、四天王寺などの大阪で信仰されてきた宗教施設のマップもあり、あとで巡ってみたい人はチェックしておくといいかもしれない。
また、現代の風俗も、元をたどれば呪術的なルーツがあることも展示されている。
たとえばひな祭りは、今では女の子の成長を祝う行事だが、ままごと遊びや人形遊びには、もともとは魔を払う意味があった。
また、私たちが今も活用している和柄文様には、魔除けの文様としての力があり、柄に応じて幸運を引き寄せたり厄を払う効果があると信じられていた。
第二次大戦中に残された掛け軸にも、呪術的意味があるのではないかということで展示されている。死んだ後も皇国の兵士としてあろうとする言葉が躍っている。
思えば千人針もごりごりの呪術だし、死と隣り合わせになると呪術的なものに頼ってしまうのかもしれない。
死と隣り合わせというと、瞬間的に流行してすぐ廃れてしまう信仰「流行神」とアマビエブームの関連性を指摘しているのも面白かった。オカルトな言い方をすると星辰がそろう瞬間というか、いろいろな偶然が重なって神と祀りあげられる何かというのは確かに存在するよなあ。
妖怪や異形、存在しない架空の生き物についても述べられている。
たとえば狐は実在する生き物であるが、ときに神として崇められ、ときに妖怪として忌まれる存在である。
河童は水難事故を起こす恐ろしい妖怪だが、人と相撲を取るなどユーモラスな一面もある。
同じ存在でも、よい面と悪い面があり、怖いものとおかしいものは似ているのかもな、と思う。
当時は実在すると思われていたが実在しなかった生き物も紹介されている。この辺はツチノコやUMAと近いものがある。今ほど博物学や分類学が進んでいたわけでもなし、見間違えの情報がずっと伝わっていたのだろうな。
私は結構信心のない方で、スピリチュアルな話題は好きじゃないし、神社仏閣へ願掛けもしない。行けば賽銭を投げるが、それでどうこうなるとは思っている。
しかしこの展示を見て、そういう信心のない人間でも呪術的な行為をしているなと気づかされた。
正月になれば初詣をするし、節分になれば恵方巻を食べる。周りの流行に流されていたものだとしても、それはまじないである。
あるいは「推し」をさも存在するように誕生日を祝ったり、アクリルスタンドやラバーストラップを持ち歩くことで、心の支えとする行為も、よく考えると呪術的な気がする。
この展示に共通していたのは、災害・病・死などの理由のない不幸への恐れである。理由がないのが怖いから、目に見えない世界の住人のせいにして、それを祓い、あるいは神の守護を願う。
人間は理由のないことに耐えられない、というのは私が好きなYouTuberの受け売りだが、展示を見終わってその言葉を思い出した。スピリチュアル系はあまり好きではないけど、誰にでもそういう心はあるって知っておくのも大事なのかもしれない。
来たときには雨が降ってなかったのに、帰るときは小雨だった。小雨を浴びながら帰った。