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自由意思の尊重
自分の気持ちや意思を尊重できていますか。
社会生活の中では、どんな場面でも、常に自分の気持ちや意思を尊重できるわけではないのですが、出来る限り尊重しようとすることで、ずいぶんと変化が出てきます。
これは私の場合ではありますが、自分の気持ちや意思を少しずつでも尊重したり、認めることが出来るようになってからは、他者の気持ちも同時に尊重できるようになったと感じることが増えました。
それまでは、自分よりも他者を優先していることが多かったのですが、いつも自己犠牲的な状況に陥っていたと思います。
さらに、尊重しているように見えて、実は他者に対しても、私の思い通りに動いてほしいという気持ちがあったような気がします。
私の思い通りに動いてくれない時など、どこか否定されたような気持になることもありました。
そのため、自分の気持ちも他者の気持ちも尊重できておらず、常に満たされない感覚はあったと思います。
それを、まずは自分を満たすことから始めました。
私自身の自由を尊重し、ゆるし、認めることの繰り返しは、私を多くの事から解放していったと思います。
そのようにしているうちに、いつの間にか自然と他者の気持ちや意思が、例え私の望むものではなかったとしても、受け入れることが出来るようになり、他者の自由意思をも尊重できるようになっていきました。
これは例えば、私はこのようにして欲しいけど、あなたがそれを望まないのであればそれを受け入れます。
という風に、まずは私の要求を述べたうえで、他者の気持ちが望まないことであるならば、すぐに要求を取り下げて身を引き、それも一つの答えなのだと受け入れることが出来るようになったのです。
家族やパートナー、または友人など、近しい関係性であれば、どこかで思い通りに動かしたいとか、動いてほしいという風に、相手をコントロールしたい気持ちが出てくるかもしれません。
距離感にもよると思いますが、境界線が曖昧になればなるほど、自分と相手との関係性があやふやになり、何を言ってもいいような気になることもあると思うのです。
親子のようにつながりが深いところでは、距離感がよくわからなくなって、その結果、問題に発展することもあるかもしれません。
ただ、それぞれ一人の人間として、様々な思いを抱え、いろんな気持ちや意思を持っているという事を忘れてはいけないのではないでしょうか。
ですから、まずはそのためにも自分の気持ちや意思を尊重し、その気持ちに沿った生き方をしていくという事が大切でしょう。
それは同時にとても強くなることも意味します。
例えば、何かの圧力や不当な扱いを受けた時、もしくは誰かにコントロールされていると感じた時に、きっぱりとNOを突き付ける勇気もいるという事です。
そのため、時には孤独になることも、またそれによって厳しい状況になることも辞さない構えで、例え一人になったとしても私は私を守るという強い気持ちを持つことです。
私は自分の気持ちを尊重できるようになった時、もしもこの気持ちを不当に扱う人がいるのならば、私は世界でたった一人になったとしても私を守ると決めました。
本当に一人になったら、結構嫌ですけど(笑)
100人周りに人がいたとしても、たった一人自分の事を守ることが出来なければ意味がないような気がしたのです。
それくらい強く、そして今もそのように思っています。
そう考えるようになってからは、私は一人の時であっても、一人を楽しむ事が出来るようになり、また孤独ではなくなりました。
なぜなら、何よりの理解者がいつも自分と共にいて、励まし、慰め、支えてくれるという事がわかったからです。
それまでは何をしてもどこにいても、誰といてもどこか満たされない思いを抱えていたような気がしますが、いつの間にか私は一人ではないと思えるようにもなったのです。
その結果、理解してくれる人だけが来てくれたり、私の事を受け入れてくれる人が現れるようになりました。
そして、理解されない人や受け入れない人が離れていっても、なんとも思わなくなり、傷つかなくなったのです。
今考えても、それまではずっと逆の事をしていたんだなと思います。
自由な気持ちを尊重するという事は、ある意味で自己を確立することでもあると思います。
自己の確立とは、私という存在を正しく認めて、そこに在るという事をゆるすことでもあるのでしょう。
そのようにして、存在を認めて、ゆるすことが出来て、初めて周囲の存在をも認めることが出来るのではないでしょうか。
いかがでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!