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終わりにしない

何かを続けるとか、習慣にすることがなかなかできなくて、なぜ私は人と同じように出来ないのだろうかとよく考えていました。

noteでは、好きなことを投稿できるからいいけれど、一歩外に出たら私は社会不適合者なのだろうなと思うことが多々あります。

その理由の一つに、何かを続けることが出来ないということがあります。

それが、まだまだ若い年齢ならともかく、すでに初老の域に入った私がそんなままなので、いつまでも大人になり切れておらず、こんな自分を何とかしたいと常々思っていました。

好きな仕事に就けてからは、仕事も続くようになりましたが、それまではすぐに辞めてしまっていました。

そんな私が、今年に入り、物が少ないミニマムな生活をするようになりました。

その日から、今日でちょうど180日目です。

仕事で出来ない時や体調不良の日を除き、約半年間、
ほぼ毎日部屋を掃除することを続けられました。

またこのnote投稿も、投稿出来たのは毎日ではありませんが、
今日で約11か月分ぐらい?
この投稿を含めて341記事を書くことが出来ました。

え?まだそんなもの?

と思われるかもしれませんが、日記が3日も続かない私からしたら、
これはオリンピックの金メダルぐらいとても難しいことなのです。

何気なく始めた、モーニングページも思いのほか続けられているので、
ここで思い切って日記を始めてみることにしました。

もう何十回も挑戦しては敗退していった日記も、
今回は、あえて分厚いノートを買い、何を書いても良いから、最後のページに書ききるまでは辞めないと心に決めてみました。

私が続けられることと、そうではないことを考えてみた時に、

それをすることが楽しいとか、率先してしたくなる、みたいな要素は大きいなとおもいます。

また、続けられていることはすべて完璧にはしていない、というのも大事でしょう。

絶対に毎日休まないとか、しなかったら罪悪感がある、みたいなプチストレスがあれば、ここまで続かなく、

やりたくなったらすればいい、書きたくなったら書けばいい、ぐらいの緩さです。

あとは、こうあるべきとか、ねばならないというルールもやめました。

数日休んでも、また再開さえすれば、やめたことにはならないと思っています。

学校でも仕事でも、人間関係でも、一度そこから離れたり、途切れたらもう終わりのような気持になるかもしれませんが、そうではないのです。

また、別の場所や違う人間関係の下でも、再開すればいいだけのことです。

何かを続けるということは、その先に何か効果を得られるのではなく、
『続ける』こと自体に意味があると思います。

続けるためには、
『終わりにしない』
ということもあるからです。

人生の中には目標を設定し、そのゴールに向かって歩む出来事が多くあります。

学校では勉強の点数、卒業、受験、仕事では成果をあげることや利益を得ることなど、家庭の中でも、何かに向けて努力する機会があるでしょう。

ですから、そういうことにはいつかは終わりが来ます。
期限があるからです。

しかし、続けるということは、期限や目標を設定せずに、
終わりにしない、終わりを作らない、ということです。

終わりを作らないということは、自分の限界とか、ここまでという制限を設けないことでもあります。

終わりを作ってやめてしまう時、
もしかしたら能力や努力の限界、そして制限を設けているのは、自分自身なのかもしれません。

もしも何かを続けたいと思ったら、いったん離れてしまっても、それはやめたのではなく、再開するまでの小休止だと思えばいいです。

また、本当に続けられずに終わりを作ってしまうのであれば、やめてしまってがっかりする必要はありません。

そこがゴールだっただけなのです。

そして、また別のことを始めればいい。

よくよく考えてみれば、人生においてすべての選択が自分に合っているかどうかなんて、試してみないとわかりません。

出会う人や環境が、全て一度でバチっとパズルのように合う人はあまりいないでしょう。

多くをやめた人は、それだけ多くを試してみた人です。

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!





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