洗い出す
皆さんは、自分の固定観念をみてみたことがあるでしょうか。
私はこれこれについてこのように思っている、こうあるべき、ねばならないと思っているとか、その他にも、思い込みや信じ込んでいること、刷り込みなどです。
私は今まで、私を支える思考やそれに伴って出てくる感情を、特に重要とも考えずに生きてきたので、洗い出すことはしませんでした。
ただ、中には見たくないと思考や、感情に蓋をしたり、向き合った方がいいものから逃げていたということもあります。
誰かの言うように生きればそれが楽でしたし、万が一間違っていても、
『あの人がそういったのだから』
『みんながそう言っているのだから』
と、誰かや何かのせいにして、自己責任から逃げることもできたからです。
ですが、心のどこかでは、本当は自分で決めないことの方が辛いとわかってもいました。
そのため、心の中を洗い出してみることに決めました。
それは、クローゼットの中や引き出しの中の物をすべて部屋に出して、中身を確認することです。
すべてを一旦外に出すということは、言い換えればすべてを明るみにし、光を当てるということになります。
私達がみている世界は、もしかしたら針の先ほどの小さな世界なのかもしれません。
私達は世界中の情報を手にし、私の事もよくわかっている(つもりだ)と豪語していても、それすらも、わかっていると思い込んでいるだけではないでしょうか。
もしくは、そうは思いたいだけかもしれないし、実は何も見えていないことに気付いていても、見て見ぬふりをし、認めたくないのかもしれません。
ですから、実は私の事すら、本当はなにも見えていないし、なにもわかっていない、ということを認めることからでしか、始めることは出来ないのでしょう。
なにも見えていないし、何もわかっていないのであれば、ひとつづつ見ていくしかない。
それが、固定観念の洗い出しです。
固定観念を洗い出すためには、様々な言葉を見聞きした時に感じる印象や、出てくる感情などを紙に書き出して、
どの様に捉えているのか、またはなぜそのように捉えているのかを見てみることも有効かもしれません。
ただ、記憶や内容によっては、心を守り、生きるために封印せざるを得なかったものもあるので、いきなり深いところから始めるのではなく、好きなものや考えると楽しい気持ちになる物事から始めてみる方がいでしょう。
また、人を見て、いわゆる投影という、心を相手に映し出して、感情が大きく変化してしまうときなどは、
その人に投影されている部分で、何が気になっているのかなどを心に問うのもいいかもしれません。
洗い出すというのは、表面の土や汚れを取って、もともとの模様が現れるようにするという意味もあります。
その表面の土や汚れと言うのが、ここでは固定観念や思い込みにあたります。
神道で
『祓いたまえ』
という祝詞の
『祓う』
と言うのも、
身心に付いた穢れ(気枯れ)を掃う、いわゆる心と身体の整理や掃除を意味するのではないかと私は考えています。
そうして清らかで、住んだ空気が流れるところでは、誇りや土(固定観念や思い込み)をなくし、
物事を、そのままの姿で観ることが出来ると思うのです。
そうやって、ありのままの姿をみていくことで、今まで抱えていた問題や、手放せない執着心もみていくことになるでしょう。
思いが人の行動にうつさせるのであれば、考え方や思考のくせに気が付けば、行動も変わると思います。
いかがでしょうか。
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