投影している
毎日の生活の中で、私たちは意識の中に抱える問題や、課題を周囲の人に投影させているという事はよくあると思います。
例えば、両親の姿を、周囲の人に投影させて、同じように見ていたり、今感じている気持ち、例えば、あの人は私を嫌いに違いないと思っていても、それは投影の可能性もあるという事です。
無意識のうちに行われるこの投影は、心理的に防御、いわゆる心を守るために、自ずから行われているようです。
そうとわかれば、今感じている、
『あの人はこう思っているの違いない』
という思いは、あくまで私の主観であり、投影であるという事がよくわかります。
以前、友人が面白い例え話を話してくれました。
ある人と食事に行きましたが、その人は終始不機嫌そうな顔つきで、ずっと下を向いています。
そのため、相手は私を嫌いに違いないと、私は腹を立てました。
しかし、その人は、歯の間に食べ物が挟まっていて、それを何とかしようと口の中でもごもごと舌を動かし、下を向いて顔をしかめているだけだったのです。
このように、ある意味、どこかで勝手な思い込みをしてしまっていたり、私の方がその人と食事をすることに、どこか否定的であれば、
『そのように見える』
という事なのでしょう。
結局は、自分が観たいようにしか現実は見えないという事です。
ただ、これも必要なことなのかもしれません。
なぜなら、意識の深いところを私たちは観ることが出来ないからです。
そのため、現実の世界を映写機のようにして、外側に映し出し、それを見ているだけなのでしょう。
中には認めたくない現実や、まさかこれを私が思っている、投影しているなんて、と思えるような環境もあるのかもしれません。
ただ、自己認知、意識を理解し、今何を投影機に映し出させているのかさせているのかを知る手掛かりにはなると思うのです。
そして、映し出された現実は、否定したり、比較したり、それによって優越感を感じたり、自己卑下したりするものではなく、見たものによってジャッジすることでもないという事です。
ただ見る
それだけなのだと思います。
私達には、このただ見るという事がなかなかできません。
思い込みや枠組み、こうあるべき、ねばならない、正しいか間違っているか、いつもその判断基準はそれぞれに任されているからです。
いくら思い込みや固定観念をなくそうとしても、それをなくしてまっさら状態で生きるには、赤ちゃんの時のように、自我が芽生える前の状態になるしかないのかもしれません。
しかし、完全になくすことは出来なくても、すこしは弱めることは出来るのではないでしょうか。
物事を柔らかい頭で見るようにして、いろんな可能性を感じたり、明るい未来に続く世界を想像をすることで、今見ている環境や、映し出す場所を変えることもできると思うのです。
私も最近、私の中にある恐怖や怯えの感情に気が付き、それを周囲に投影していたことに気が付きました。
私にはそれを見させられる理由がわからなかったのですが、意識の深いところにあるものを見てくださいね、という意味で気付きを促されたのかなと思っています。
それに気が付けば、私たちはたくさんの世界を自由に見ることが出来ると思うのです。
無限の宇宙のように広がった意識であるなら、
ある一点だけをじっとみつめるのではなく、あちこちを自由に見て回り、それをどんどん映写機に映し出してはいかが?
と、促されているのかもしれません。
いかがでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!