どっちでもいい論
以前から割とどんなことに対しても、
『まぁ、どっちでもいいよね』
ぐらいのスタンスだったのですが、最近特にその傾向を色濃くなり、
本当に何があっても、
『どっちでもいいか』という感覚になってきました。
というのも、運動指導をしていると、多くの方が、
『痩せたい』とか、
『健康になりたい』という、目標を当たり前ですが持っていますので、そのお話を聞くことが多いのです。
その時に、
痩せることが良いと思っているから、
健康が良いと思っているからそうなりたいわけで、
痩せることが悪いことで、健康になるのが悪いと思い込んでいれば、誰も痩せようとも、健康になろうともしないのです。
ということは、そこに良いとか悪いのジャッジが入っているからそうなってしまうのですが、わざわざレッスンを受けに来てくれたお客様に対して、
『痩せても太ってていてもどっちでもよくないですか?』
なんて言うということは、ただの営業妨害というか、痩せたい人にかける言葉ではないですので、たいていの場合は黙って聞いていました。
基本的に『どっちでもいいな』というスタンスで生きていますので、
例えば、
痩せていても太っていてもどっちでもいい、とか
お金があっても貧しくてもどっちでもいい、みたいに
どっちを選んでも良いし、どちらかに良いとか悪いは私にはありません。
なぜなら、
健康が良いと強く思っていれば、病気になった時に自分を責めたりしませんか。
痩せているのがいいと願っていれば、食べてしまう自分をダメだと思いませんか。
これが良いという自分を作ると、と同時にそれが出来ていない自分は悪いというレッテルを貼らなければならなくなるんです。
部屋がきれいでも汚くてもどっちでもいいし、基本的には何を選んでも自由だし、良いも悪いもないのに、そのジャッジする固定観念で生きているだけなのではないかと思うのです。
ただ、こうあるべき!が強く、それに向かって頑張っている人からしたら、この
『どっちもでもいい論』は非常に腹が立つらしく(笑)
たいていの場合全力で反論されます。
例えば、売り上げがあってもなくてもどっちでもいい、と言うとしたら、
経営者さんからしたら『んなわきゃない!』ってなりますよね。
今月のお金どうすんだーって、わーって怒るはずです。
はい、たいてい怒られます。
もちろん、それもよくわかります。
経営者さんは、売り上げを取るほうにだけ思考がシフトしていますから、売り上げを取る=良い、売り上げが取れない=悪い、となりますよね。
一方私は、売り上げを取る=良い、売り上げを取れない=良い、としています。
この違いはおわかりでしょうか。
シーソーでいうと、一人しか乗っておらず、片側にだけ偏っているのが経営者さんの考えで、両方に同じ体重の人が乗っていて均衡を保っているのが私の考えです。
片側が良いという自分を作った瞬間に、悪い自分を作らなければならなくなりますから、
売上を取れる自分は良い、だが、取れない自分は悪いとなります。
毎回思うような売り上げが取れればいいですが、万が一そうではなかった場合、
その都度自分を責めたり、ゆるせなかったりする気持ちが出てくるかもしれません。
おそらく、売り上げがとれようが、取れなかろうが、痩せていようが、太っていようが、健康であろうが、病気であろうが、宇宙はそんなことどうでもいいと思うのです。
それよりも、そのことで、自分を責めたり、ゆるせない、認められないという波動を出してしまっているよ、ということに気が付くのも大切だと思うのです。
結局、両方を均等に『どっちでもいい』にするということは、現実がどのようであっても、自分をゆるすことだと思います。
私は許し続けたいので、この『どっちでもいい論』で生きていますが、皆さんはいかがでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!