時間を創る
小さい頃は本を読むのが好きで、様々な本を読んでいましたが、段々とその時間がテレビに奪われ、スマホの登場ととともに、いつしか長い年月をスマホに時間提供していました。
それでも本は好きで購入はし続けていましたが、本はあっても本が読めないという謎の奇病にかかり(笑)
・読んでいるようで、頭に入ってこない
・小説など結末まで待ちきれない
・最後まで読み切らない
という風な症状が現れるようになりました。
本や文字を読むときに、一旦文字が頭の中に入って、それを理解して咀嚼して、必要なものだけを残して、いらないものは出ていくイメージでした。
しかし、その症状に気が付いた時には、文字が頭の中に入らずに、そのままスルーしていくような感覚で、それはまさしく、テレビやスマホを何も考えずにボーっと見ているような状態と似ているなと思ったのです。
読書と、ただ見ているだけの時間の違いは、やはりインプットしたものを一度理解したり、咀嚼しているかどうかだと思います。
脳の機能のことは詳しくはわかりませんが、読書の時とただ見ているだけの時と言うのは、脳の働きも大きく違うような気がします。
ですから、同じようにインプットしていても、それの情報を理解しようとしたり、咀嚼して自分のものにするか、それともただコマーシャルのように流れてくるものを、無意識に受け入れてしまうのかは大きく違うと思います。
例えば、理解して咀嚼出来れば、その時には自分の好きとか嫌いも含めて、インプットするかどうかを選べます。
ですので、不快な情報や、自分の好みではないものを排除し、逆に残しておきたい大切な情報を今後の人生に役立たせることが出来るはずです。
しかし、無意識のうちにインプットされていく情報は、選択ができませんので、好ましくないものでもずっと思考や意識の深いところに残っていることもあるでしょうし、本当に残したいものが残せていないかもしれません。
そのようにして、同じくインプットしていると思えても、内容がずいぶん違うのかもしれませんね。
私たちは五感を通じても様々なインプットをしていると思いますが、言語によるインプットは大きいと思います。
言語化できない時、気持ちを表現できなくて苦しい気持ちになるかもしれませんが、同時に言語に頼りすぎるのもよくないのかもしれません。
言語に頼りすぎると、どうしても思考優位、左脳中心の脳の使い方になるからです。
そのため、時には右脳を使ったインプットも意識してみるのもいいでしょう。
右脳を中心としたインプットとは、例えば芸術であったり、身体を動かすことなど、言葉では表すことが難しいことを、左脳を使うのと同じくらい行ってみるのです。
五感で感じるもの、という風に表現するのがわかりやすいでしょう。
自然にある植物に手を触れたり、見たり、陶芸のように手でつくる作業をしたり、音楽を聴いたり、香りや味を楽しんだりしてみるという時間を意識的に作るという事です。
そうすることで、右脳の働きをよくすることが出来るのではないでしょうか。
それはデジタルなものから離れることであったり、一時的にでも機械ではなく自分の力や、持っているもので何かをする時間でもあります。
また、読書をしていても、文章を頭の中で、まるで見ているかのようにイメージしていくという事も良いかもしれません。
中学生くらいの頃に、小説を深夜遅くまで読んでいたことがありました。
主人公の情景やいる場所など、まるで自分が主人公かのように、ありありとそこに居る感覚がありました。
そうして、はっと気が付いたら自分の部屋だった、ということがありましたが、後にも先にも本の中に入っていたなと思う経験はありません。
それぐらい深く集中して、没頭している時と言うのは、きっとぼんやり見ているだけの意識とは違う形で脳が働いていると思うのです。
私も外側に意識を向けすぎると、家に帰ってからぼんやりしたいなと思うことがあるのですが、そのぼんやりしている時に何もインプットしないで、本当にぼんやりしたほうが良いかもしれませんね。
今年も始まったばかりですが、そのような時間を創ることを意識して過ごせたらいいなと思います。
いかがでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!