寄り添う
人と人との距離感について、難しいなと思うことがよくあります。
私は普段人と積極的に関わったり、いろんなお話をしてコミュニケーションをとることが必要な仕事をしています。
しかし、私自身はどちらかと言うと、心をあまり開かないし、パーソナルスペースをしっかりとりたいと考えています。
そういう心の状況は、物理的な関係性も同じように、話をしている時など、普段から距離が近い人も少し苦手です。
とはいえ、仕事の内容に、人とのコミュニケーションをとることが必須であったり、積極的に関わっていく必要があれば、私個人の意見や気持ちなどは明後日の方向に置いておいて、円滑に仕事ができるようにすすめる必要があります。
そのため、外に出た瞬間、
『私頑張って話してるなー』と思うことが多く、自宅に帰って一人になった時には、ホッとしていることがよくあります。
時々ものすごい勢いでパーソナルスペースに入ってくるみたいな、イメージで言うと、ぐいぐい来る、親戚のおばちゃんみたいなパワフルな人に出会うこともあるのですが、それはそれで結構新鮮だったりして嬉しいです。
しかし、いきなり土足で踏み込んできて、家の中をぐちゃぐちゃにされて帰って行かれるようなイメージがある人と出会うと、もうそこから完全に貝の殻に閉じこもり、口をぎゅっと閉じてしまうこともあります。
ここ数年の感染症では、日常生活の中でこの
『距離感』
について改めて考える機会がありました。
人と人との間で、距離を取らないといけない。
という考え方が、その時には一般的となったため、様々な方法で、距離の取り方を考えながら生活していたと思います。
確かに物理的に距離を開けることで、それぞれが干渉し合うことが少なくなりますから、影響を受け合うことは少ないかもしれません。
しかし、身体の距離が離れたとしても、電波を通じて影響を受けていれば、互いに干渉し合うことはあるでしょう。
そのため、身近な人との物理的距離は離れ、その一方で、今の生活からはかけ離れた、遠い場所にいる人からの電波による影響を受ける機会が増えたように思います。
丸い図形を重ねた時、それぞれの丸をA・B・Cとします。
そして、重なり合った部分は、Aかつ、Bかつ、Cであるということが言えます。
ということは、普段物理的に距離の近い、家族や友人、職場や近所の人、そして心の距離も近い人との共通部分は、
『私であり、あなたであり、あの人である』ということが言えます。
そのように、身近な人との距離を取り、影響から離れたその一方で、一気に近くなったのが電波による距離でしょう。
これは一体何を意味するのでしょうか。
簡単に言うなら、近しい人との分断、そして影響下から離れ、別のところのと結びつきを図っているということです。
それは、そういう風にせざるを得なかったのか、それとも自らがそれを望んだのか、私にはわかりません。
ただ、一つだけ言えるのは、私たちはいつでも選べるということです。
人との距離が緩和された現在でも、今後は様々な問題が出てくる中で、近くにいても、ますます考え方が違ってくることがあるかもしれません。
その時に、何と、そしてどこと結びつきを持ち、それは私であり、あなたであり、あの人だと言えるコミュニティにいるのか、ということを知っておく必要があるのかもしれません。
そして、そのコミュニティの中でも、共通していない部分を尊重したり、大切に出来ているか。
また、何かの問題にあたった時に、話し合いを設けたり、互いに意見を出し合える環境なのかなど、
言われた言葉をただ受け取るだけではなく、それに対して思ったことや感想、場合によっては反対意見をも言い合える関係性の中にいることなど、互いに寄り添って生きていける関係性を築く努力も必要かもしれません。
私もあまり気持ち話したくないと、つい殻に閉じこもってしまうところがあるのですが、そういう部分を自覚できたなと思います。
いかがでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!
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