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私の歴史

皆さんは自分の歴史をご存知ですか。

私は、経歴ぐらいは言えますが、幼少期からずいぶん経つと、その記憶は定かではないものが多いです。

また、強く印象に残っていたとしても、記憶を自分にとって都合のいいようにすり替えたり、何か別の記憶とごっちゃになっていることもあるのだろうなと、記憶を若干疑っています。

経歴だって、当たり前に成果を書き残すことはあっても、失敗談ばっかりを書き残す人はあまりいないと思います。

そして、一週間前の晩御飯のメニューですら、すでに思い出せていませんから、記憶の曖昧さは知っておいた方がいいかもしれませんね。

ドイツの心理学者、エビングハウスの忘却曲線という表がありますが、人の記憶は、1時間で半分、1日で約7割近くも忘れるようにできているとし、
忘れるという事が実はとても自然なのだという事がわかります。

脳の中にある『海馬』が記憶を整理する役割をしているようですが、海馬でこの記憶は残すとか、残さないとか精査されて、不必要と判断された記憶を『忘れる』という形で整理してくれているようです。

脳の働きってすごいですね。

確かに、生きてきた毎食分の食事内容や、毎瞬毎瞬感じたことや思ったこと、出来事をすべて記憶にのこしていたら頭がパンクしそうです。

さらにその中でも、記憶に大きく残りやすいのは、出来事に感情が伴ったものかもしれません。

例えば、
(出来事)+(感情)
 失恋した+悲しい

みたいな形で、出来事の記憶だけではなく、心や感情に響く何かがある時には、記憶として印象が残りやすいでしょう。

後は、五感を通じて、
実家の味とか、香りで思い出すとか、普段は忘れていても、瞬間的に記憶がよみがえるものなどもあると思います。

『最近物忘れがひどくて』

とか、忘れることに対していい印象を持たないような気がしますが、実はとても自然なことであり、むしろ忘れてもいいのだという事にも気が付きます。

なぜなら、記憶の中には、思い出すと辛いもの、悲しみや怒りがこみ上げるもの、ずっと持ち続けるには苦しくなるものもあるからです。

それがいつまでたっても忘れられなかったらどうでしょう。

その時の情景や記憶、五感のすべてがいつまでも鮮明に思い出せたら、そして忘れることが出来なかったら、人は生きてはいけないです。

だから、ちゃんといつの間にか時間と共に忘れて、
『今を生きる』
ように作られているのでしょうね。

強く衝撃的な印象のある出来事は、なかなか忘れることもできませんし、時間もかかるかもしれません。

また、忘れられない記憶の中には、忘れたくない記憶もあり、その時の記憶を懸命に残し、それが生きる糧となることもあります。

人生の歴史をもし振り返る機会があれば、今持ち合わせている記憶と照らし合わせてみるのもいいかもしれませんね。

もしかしたら、記憶違いだったとか、誤解したまま記憶していたとか、都合のいいように思い込んでいるだけだったという事もあります。

人間の脳は、忘れるために記憶しようとしているのかもしれません。

だとしたら、記憶自体は何でもよくて、整理する(忘れる)という作業のため、脳内の循環のためにも記憶が必要なのかもしれません。

印象に残るような強い記憶(経験や行動、五感、感情が動くことなど)を入れてあげることで、脳の働きが活発になるのではないでしょうか。

そのためには、人と関わったり、外に出て、行動を起こすという事がとても大切なのでしょうね。

私も時々腹を立てて、
『絶対忘れないぞ』と恨みがましく思っていても、気が付いたらそんなことはすっかり忘れて、
『はて、そもそも一体何で怒っていたのか』
と、怒りの気持ちどころか、怒っていた理由すらも思い出せないことがあります。

そういう色々含めて、きっちり忘れてくれていること、海馬に感謝しかありません(笑)

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!

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