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自立するという事
人に何かをしてもらった時、どの様な気持ちになりますか。
私は今まで、どこか申し訳ないような感じがしたり、して貰ったことに対してお返しをしなければいけない感じがあって、嬉しいけれど、受け取ることが素直に出来ない時がありました。
また、何かを人に頼んだり、お願いするときにも、相手に負担や迷惑をかけてしまわないかと気を遣って、自分で何とかしたほうが良いと、あまり人にも頼りませんでした。
様々な機械や、便利なグッズのおかげで、力が弱くても出来ることが多くなったり、誰でも不自由なく行えることが増えると、あまり人にも頼らなくてもいいし、自分でできるからお願いする機会もない、そう考えていたのです。
ただ、その考えは自立しているように見えて、時に傲慢な思いもあったのかなと思うことがあります。
なぜなら、その結果、人に頼ることが嫌になり、同時に人から頼られることや、人に頼る人を嫌だなと思うようにもなったからです。
自立と傲慢は、実は紙一重であるという事が言えるのかもしれません。
『自分で何でもできる』
と宣言した瞬間に、私たちは傲慢な生き物になります。
なぜなら、本当の意味での自立とは他者との共生の中にあり、その未熟さを認めることにあるからです。
未熟さを認められない時と言うのは、自分で何でもできると思い込んでいる状態であるというのは言うまでもありません。
いつも誰かに支えられ、互いに頼って、お願いし合って生きている。
それは決して迷惑でもなく、当たり前のことなのです。
そして、それこそが本当の意味で自立と言えるのです。
自立と孤立を一緒にしてはいけないのでしょう。
自立を自分一人だけの力で立つ、と考えるのではなく、周囲にいる人と、互いに支え合う一人として立つ、と考える事が自立なのです。
ですから、自立とは、孤立ではなく、メンバーの一員になる、という意味でしょうか。
個人競技であれば、一人で自由に行えばいいので、何をどのようにしてもいいはずです。
しかし、チームの競技はどうでしょう。
いつも自分が主役な時ばかりではありません。
そして、時には誰かのためにそのポジションを譲ることも、誰かが弱っていたら助けることも大切です。
当然、同じように人から助けられることもあるでしょう。
なぜならチームだからです。
個人の成績ではなく、チームとして勝利に導くためには、自分という個人を捨てて、もっと大きな目的のために、力を尽くさなければならないのです。
その時、実は自分というものはどこにもない、という事にも気が付くと思うのです。
いままで、自分と思い込んでいた存在、そして個人として孤立した存在と言うのは、ただの幻想で、そこに在るのはいつもチームそのものであり、全体なのです。
しかし、私たちにはそれがわかりません。
なぜなら、自分という孤立した存在を創らなければ、自我は存在意義を失うからです。
ですから、自我がある以上、個人という感覚をなくすことは、なかなか出来ないでしょう。
自分というものは、本当は存在せず、そこに在るのはチーム全体としての、一部があるというだけなのです。
身体に例えるとよくわかります。
右腕は、私は一人だと思い込んでいて、私は何でも一人でできると思い込んでいました。
しかし、身体のあちこちが右腕をいつもサポートしてくれていたし、互いに助け合って、一人の人間を動かしています。
右腕がお休みしている時には、別の部分が働いて、人間を動かしているはずです。
その時に、してもらって迷惑をかけているとか、その逆で迷惑をかけられたとはならないでしょう。
右腕が痛みを伴えば、同じように身体全体も痛みを伴うはずですし、右腕の動きが充実していれば、身体もよく動き、他の部分にまで、その動きは波及していくこともあるでしょう。
そのように、あなたが笑えば世界は輝き、祝福の鐘を鳴らすのです。
また、悲しみを抱えて、誰かに助けを求めるときに、それは迷惑ではないのですから、声をあげて助けを求めることも大切です。
そのように理解できれば、助け助けられること、支え合うということは、自分のためではなく、世界のためであるという事に気が付くと思うのです。
自己責任という言葉を聞くことがありますが、その言葉が使い方によっては時として、人と人との分断されるようなイメージになるかもしれません。
それは結局孤立を促す意味にもなりかねないからです。
そうなると、自立の概念からは程遠くなることもあるでしょう。
世界と切り離すことをやめてみる。
それは、素直に愛を受けとったり、喜んでいいという事。
また、助けることと助けられることを恐れたり、躊躇しないでいい、という事です。
いかがでしょうか。
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