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助けたがっている
前回の投稿で、
今抱えている問題や、手放せない感情を委ねて捧げるという事を書きました。
今回はその続きになります。
恐れや不安、心配など、過去の経験や記憶の中で抱えてしまった感情。
それを手放し、外に出す、もしくは別のところに渡すという事は、問題を専門家に委ねて捧げるという事でもあります。
これは本当に専門家のところに行ってもいいでしょうし、実際にはいかなくても、きっと解決してくれる存在に捧げる、と思うだけでもいいのでしょう。
私たちはいつも自分で何とかしようとしてしまうのです。
なぜなら、この問題や感情を『私のもの』と考えているからです。
例えば、今抱えている問題や感情は『私のもの』と思い込んでいるだけで、全く別ものだったらどうでしょう。
責任感が強く、もしかしたら私のせいかもしれない、あの時私がこうしていれば、または他者の機嫌まで自分に責任があるように思っていれば、その問題は私にあると考えてしまう場合もあるでしょう。
しかし、実際はそうではないことも多いと思うのです。
全ての責任を『私のもの』だと背負い、またその問題を私が解決しなければならないと考えていれば、その生き方は辛く、苦しいものになるかもしれません。
ですから、まずは問題は『私のもの』、私の所有物ではないという事に気が付き、その責任を一人で追うのをやめるのです。
これは、問題を誰かや何かもせいにするわけではなく、問題を問題として認識したうえで、出来ることと出来ないことを分けて考えるという事です。
例えば、何かが壊れたり、修理が必要な場合があるとします。
その時に、壊れてしまったと嘆き悲しみ続けるのではなく、また壊れたのは周囲の人のせいだと、周りにその責任を押し付け続けるでもなく、すぐに専門家に連絡して修理を頼むでしょう。
壊れたものを、いつか直るかもしれないと持ち続けても修理しないと元には戻りませんし、自分のせいかもしれないと、何とか修理しようとしても、直せないものはそのままです。
ですから、なにか問題に直面した時には、それをまずは問題だと認め、自分で何とかしようとするのではなく、その問題を専門家に委ねて捧げることでによって、まるで修理が進むように問題解決に繋がるのではないかと思うのです。
問題を捧げる時には、勇気もいるかもしれません。
なぜなら、私の問題だと思っていたけれど、その問題を解決する力は、残念ながら私にはない、という事も認める必要があるからです。
また、今まで『私のもの』と思っていた問題は、私のせいではなかったかもしれませんし、何とかしようとしていたことも、自分には何もできないことだったと気付くことが必要になってくると思うのです。
問題や感情を委ねて捧げるとき、その手から離れていきますが、周囲で助けたいと思っている人がいても、私が手を離さない限り助けることが出来ないのです。
いいえ、私はずっと誰からも助けられなかったのです。
と思うのであれば、あなたが問題から手を離さないから、助けたくても誰も助けることが出来なかったかもしれません。
いつも手は差し伸べられていたのに、その手を掴もうとせず、また渡そうとしなかったのは、気付くまでにもタイミングもあったかもしれません。
ですから、今までの出来事も無駄なことは何もなく、またそこに気付くために大切な時間だったのでしょう。
いかがでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!