自分と仲直り
先日、車の運転しているときに、ふと
『ああ、もう自分と仲直りしよう』
喧嘩をした覚えはありませんが(笑)
自分の一番の味方になりたいなと急に思ったのです。
今まで、取っ組み合いの喧嘩をしたことはありませんが、自分の事を一番傷付けていたのは私ではないかと思いました。
他の人と比べてあれが出来ていない、これが出来ていないという言葉だけではなく、心のままにやりたいなって思ったことですら、私にはできないでしょって思ってみたり、
心が求めることをずっと無視したりと、一番近くに居ながら、一番ひどいことをしていたのでしょう。
自覚するのには時間がかかりましたが、仲直りしたいと思った瞬間、自分に対して申し訳ないことをしていたんだな、という気持ちがぶわーっと湧いてきて、さんざん傷付けられても一緒にいてくれた私のことが気の毒でなりませんでした。
謙虚であったり、自分を律することも大事かもしれませんが、自分を傷つけたり、卑下することとは一緒にしてはいけないと思うのです。
それに気が付いていないことも多く、自分というものを向上させるためには、自分に厳しく、完璧にという考え方もあるでしょう。
まさに私がそうでした。
何度か自分で入れたボディブローで倒れたりしましたが、倒れては立ち上がり、倒れては立ち上がりの人生。
まさに過酷です。
残念なことに、この過酷な人生を送っているという自覚がほとんどなく、
いやむしろまだまだでしょ、みたいに構えた私がもう一人。
自分に厳しいというのは本当に辛いものです。
仲直りするということは、目の前の自分をゆるすということになります。
そのまま、ありのままをゆるすということです。
例えば、何もできない自分をゆるす、これはよくあります。
失敗ばかりの自分をゆるす、うんうん、わかりますね。
間違ったことをした自分をゆるす、これは内容によるかも。
やりたいことをする自分をゆるす、出来そうなことならOKするかな。
愛されることをゆるす、私って愛されてもいいんだろうか。
受け取ることをゆるす、何にもできていないのに受け取っちゃダメじゃない。
こんな風に、ゆるしにも段階があって、自分の行為から始まって、存在そのものをゆるせるようになるか、ということに繋がると思うのです。
自分と仲直りしたくたって、あれやこれやゆるせないことをしてしまっていたら、罪の意識を持たせて、罰を与えたり、そこからさらに向上するように頑張らなきゃって思うでしょう。
ですが、罰を与えているのは他でもない私自身なのです。
罪はどこにもない。
もちろん、原因に対して結果はあるかもしれません。
ですからこの先は、結果として生きるのではなく、原因で生きればいいのです。
始まりと終わりはいつも同時で、宇宙がビッグバンを起こした瞬間にそれはもう終わっており、過去も現在も未来も、すべては同じ時、今この瞬間に起きているに過ぎないのです。
私達は生き方を変えるように言われているのです。
それは今この瞬間をただ生きること。
それが自分と仲直りするということです。
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