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自尊感情
人との距離感を考えた時に、適切な距離を測れる人はあまり多くないかもしれません。
それだけ、人間関係とはいつも複雑であり、アドラーの言うように、その悩みが苦悩のすべてと考えてもいいのかもしれません。
また、人との関係を考えた時に、自分自身との距離感とか関係性も同時に見ていくといいのではないでしょうか。
人との関係において、どうしても容認できないと思うことは、自尊心を傷つけられることです。
これは誰でもそうでしょう。
もしも私が、何か失敗をしたり、行いで間違ったことをしたとしたら、そこに関して注意をされたり、誤りを指摘されるのはむしろ成長のために、どんどん言っててもらいたいなと思います。
ただ、自尊心とは人格の部分ですから、私が大切にしているものや思い、存在自体を否定される場所や、人からは離れるようにしています。
ですから、人との距離を考えた時に、注意してくれる人が私の成長を考えたり、行いの誤りに対するものなのか、それともただ自尊心を傷つけてくる人なのか、でその人とこの先も関わるかどうかをすぐに判断します。
そして、自尊心を傷つけるような人であれば、いかなる状況であっても、その場に居続けることはせず、即座に立ち去るようにしています。
その時には、相手がどれだけ偉い人だったり、仕事に関わる人であっても毅然とした態度で、直接言う事もあります。
ただ、相手の自尊心を傷付けているにもかかわらず、それがあなたの成長のためだという言い方をして、二つの観点をごちゃごちゃにして注意してくる人は割と多いかも言しれません。
そうなると、話をしても伝わらないこともあります。
その時には、残念ながら見ている観点も違うので、話をしてもそれぞれの正義の主張にしかならないと思うのです。
ですから、黙ってさっと去るという事もあります。
これは例え、自尊心を傷つけてきた相手であっても、その考えを私は否定するつもりはないからです。
自尊心を傷つけてくるときに、そこに在るのは自分だけは絶対に正しいという思いと、相手を変えようとしたり、思い通りに動かそうとする支配の感情なのかなと思います。
ただ、その感情を持っていても、あまり人は寄ってこないかもしれないし、もしも人を動かすことや支配することを考えていれば、穏やかな感情になることもなく、自分が苦しいだけではないかなと思います。
人間関係がうまくいっている人と言うのは、出会う人の誰からも好かれていて、すべての関係性が上手くいっている人ではなく、自尊心を大切にしてくれる人とだけ一緒にいる、という事を選んだ人だと思います。
ですから、みんなに好かれようとしなくてもよくて、ただ認めてくれて尊重してくれる人とだけ人間関係を築いていけばいいのではないかと思うのです。
どうしても今は離れがたい状況であっても、自尊心を傷つける人と一緒に居続けても、結局は仲たがいする時期が早いか遅いかだけかもしれません。
それなら、傷が浅いうちに離れて、認めてくれる、大切にしてくれる人との時間を長く持つほうが良いと思うのです。
また、どれだけ自分を大切にしていても、自尊心を傷つける人と全く出会わないという事はないでしょう。
身体の細胞だって、身体を生かしてくれる細胞もあれば、そうではない細胞があって、どんな細胞だって生きようとしているはずなのに、宿主に悪い影響を与えることがあると思うのです。
ですから、常に100%いいと思える場合ばかりではなく、時にはうまくいかないこともあります。
本当の意味で考えたほうが良いのは、出会いを避けるのではなくて、出会った時にどう対処するかだけだと思います。
その時にどのように行動するのか、またこの先の関係性をどう考えるかで、人間関係は変わってくるのではないでしょうか。
誰でもそれぞれに大切にしていることや考え、生きてきた履歴があると思います。
それが時には、自分とはあまりにかけ離れていても、だからと言ってその部分を馬鹿にしたり、否定したり、変えようとするというのは、私は違うかなと思います。
それよりも、人の気持ち、考えを尊重したり、認めて、その人が大切にしているものを、私も同じように大切にしたいなといつも考えています。
それが私の考えと真逆であっても、そういう考えもあるのだなと思うだけです。
そして、互いに考えが合わず、もう関りがないとしても、どこかでその人が楽しそうに笑ってくれていたら、それでいいといつも思っています。
いかがでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!