心の平安
多くの人が心の平安を願い、またそのためには現実も満たされた生活を望むという事もあるでしょう。
お金があれば
好きな仕事に就ければ
大切な人と関係がよくなれば
このように、心の平安がいつも、現実にあらわれる外部の現象と深く関わっている、と思い込んでいれば、満たされた生活を夢見ることもあると思うのです。
それは心の平安のためだからです。
しかし、この考えで生きていれば、
お金が無かったら不幸だ
好きな仕事に就けなければやりがいはない
大切な人といい関係が出来なければ、誰にも愛されない私になってしまう
という風に、いつも外側の現実に振り回され、一喜一憂しながら生きることになります。
確かに、
お金が無かったら欲しいものは買えないし、
好きな仕事に就けなかったら、やりたいこととは違うかもしれない、
そして、大切な人いい関係になれなければ、そのまま関係性が途切れてしまうかもしれない
と思うでしょう。
ですが、例えそうだとしても、
お金の価値を今一度見直すきっかけなのかもしれないし、
新たな分野で経験やスキルを得る機会かもしれない
そして、関係性の中で学びを終え、互いに成長したのかもしれない
そんな風に考えてみるのもいいと思うのです。
全ての出来事は、いつも両面があるのでしょう。
一つの面ばかり見ていては、まだ裏面に続きがあるのに、見逃してしまいます。
ですから、どちらの面だけを見て生活をしているか、そこに気付くことも時には必要かもしれません。
そのうえで、私は本当は一体何を望んでいるのかを考えてみるのもいいでしょう。
お金なのか
やりがいのある仕事か
大切な人とのいい関係か
それとも
『私自身の幸福か』
このどちらを本当は求めているのかを心に聴いてみるのです。
もしかしたら、心がいつも満たされていて、幸福感を味わっていられるのであれば、
お金に執着するほど欲しいとは思わなくなるかもしれません。
仕事も、新しい世界を新鮮な気持ちで受け入れることが出来ているかもしれません。
また、関係性が続かなかったとして、自分の気持ちも相手の気持ちも大切にし、互いの成長を喜ぶことも出来るかもしれません。
私たちはいつも、外側の現実に感情を大きく揺さぶられています。
こうでなければ
これがなければ
あの人がいなければ
『私は幸福ではない』
いつも条件付きの幸福なのです。
その思いであれば、いつまでたっても本当の意味での幸福は程遠く、その場から動き出すことも、自分は家の外に出ることもないまま、窓の向こうの青い鳥を追い求め続けるようになります。
いつか、いつか誰かが連れてきてくれるだろうと思い続けながら。
心の平安とは、青い鳥は外に探しに出かけなくても、いつも私とともにあった、そして、これからもずっと一緒にいる、という事に気が付くことなのです。
とはいえ、なかなかそこに目を向けて生きるのは難しいでしょう。
現実をなんとか変えたいと思ったり、幸福のためにいろんなことを追い求めることもある。
その時には、変えたい気持ちや幸福を追い求める思いを、まずは受け入れてあげることも必要です。
そうして、一度思いを認めてあげて、今までそうやって生きてきた記憶や、時間を労ってあげることも大切だと思います。
そして、私の幸福の追求のために一生懸命だったのだと、もしかしたら表面しか見ていなかったけれど、それも必要な時間だったのだ、と思いを否定しないことです。
それが出来たら、次にこれからどうするかを考えてみるのもいいでしょう。
今までの経験や記憶をふまえ、今後私はどうしたいのか、どうするのかという事を改めて決めるのです。
そうやって、一つまたひとつと、気付いては認め、今後どう生きるかを決める、その繰り返しなのかもしれません。
これは一度や二度で、心の中を平安にすることは出来ないかもしれません。
もしかしたら、一生それを続けることになるかもしれません。
しかし、トレーニングと同じで、始めは慣れないし、続けることで精一杯かもしれませんが、繰り返していけばだんだんと筋力が付いて、繰り返すうちに楽になる。
ですから、焦らずに、この作業を淡々と行っていく。
そうすることで、心の平安、青い鳥が本当はどこにいるのかが見えてくるのではないでしょうか。
いかがでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!