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我慢の弊害
最近特に心掛けているのは、とにかく我慢をしないということです。
日本の風土から考えると、忍耐強い方も多いかもしれませんし、それはとても素晴らしいことです。
しかし、我慢するということと、忍耐強く生きるのはまるで違います。
我慢をするということは、やみくもに押さえつけたりすることで、忍耐強いということはその意味を理解して、こらえて許すということです。
意味が分からないまま、ただ強いられただけの我慢はいずれ心の奥で怒りになり、最後はたいてい大爆発します。
我慢だけを強いてしまっている人は、その我慢をまるで正義のように振りかざして周囲に推奨するけど、なぜか一番苦しそうに見える。
そして、我慢した先にはユートピアがあるように言うけれど、言っている本人が幸せそうに見えないことがよくあります。
だから、私は絶対に我慢しません‼
もちろん、ところかまわず欲望のまま生きてはいませんよ(笑)
ただ、出てきた感情を抑えたりせずに、
『そう思ったんだね。気持ちを教えてくれてありがとう』って考えるようにします。
その内容が、他人に対する悪意であっても、出てきた感情に、
『そんなこと思ったらだめでしょう』なんていいません。
だから、完全に自己完結です。
また、叶えてあげられることなら、すぐに願いを叶えてあげます。
『あれが食べたいな』とか
『これ欲しいな』みたいなことも、
自分がそうしたいなって思ったら、それを否定したり、何かを成し遂げないとあげないよみたいに、取引みたいなやり方もしません。
お手をしないとご飯あげないよ、みたいな。
欲しいものを存分に差し上げます。
ただ、やはり今すぐに叶えられないこともありますので、その時は理解しますし、それが宇宙ほど遠い願いであっても、
『そんなこと叶うはずがない』なんて絶対に言いません。
いい願いだね、きっと叶うよと伝えます。
結局、私を縛っているものは私自身で、幸福になりたかったら自己完結するしかない。
世界中の人が無理だよって言ってても、私だけが信じられたら叶わない夢はないと思います。
その一方で、世界中の人が叶うよって言ってても、私だけそんな夢叶わないよって思っていたら、叶うことも叶わないのです。
だから、最後は私が決めて、解放するしかないんですよね。
我慢っていったいどこから来たのでしょうね。
もともと忍耐強い日本人のDNAはあったと思いますが、それが忍耐から我慢に、いつの間にか切り変わってしまったのだと思います。
ただ、ほとんどの人が自分に我慢を強いていることにすら気が付いていないし、だからそれを解放しようなんて思っていない。
それどころか、我慢しない人を良くないと思ったり、周りに我慢をさせようとしていることもある。
我慢の先にあるのは幸福ではなくて、大爆発。
忍耐の先には、達成感。
あなたはどちらを選びますか。
我慢を強いているのはだれでしょう。
家族?周囲の人?
いいえ、私たち自身です。
そろそろ、我慢の呪縛から解放してあげませんか。
いかがでしたか。
今日もお読みいただきありがとうございます!