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「発達特性」はじめます

「発達特性」という言葉を使い続けることをはじめます。
その代わりに「発達障害」という言葉を捨てます。


発達を平均で計る危うさ

子どもは、個々に発達の仕方や発達にかかる時間も違うのが当たり前であるのに、なぜ、遅れているとか進んでいるとか言われるのか?あくまで統計的にみて平均からの違いだけを言われているに過ぎません。「平均」というのは、異なる特性の母集団を平均したに過ぎないので、母集団には幅があり、その中間を求めたに過ぎません。平均値以上が正解であるかのように扱うこと自体に危うさがあります。

障害を作っているのは誰か

そして、最も大きなことは、障害を作っているのは子どもではなく、子どもを取り巻く環境や制度、そして私たち大人たちであるということです。
子どもは生まれながらにその特性を持っているのだから、本人からすれば障害でも何でもなく、その全てが自分自身です。それを障害としてしまうのは、環境に問題があったり、制度的な問題があったり、または、障害として扱ってしまう大人側の認識にあります。

本来、私たちは生まれながらに全員違っていて多様であるので、発達もそれぞれ違っていて多様です。障害などあるはずもないのです。

「発達特性」を使おう

私は、これから「発達特性」という言葉を使うようにします。子どもをよく観察し、その子どもの特性は何であるかを見極めることをこれまで同様、それ以上に続けていきます。

ちなみに、私自身、もし現時点で子どもだったら発達障害と診断された可能性が非常に高いです。
ひらがなを読むことに難があり、絵本を読んだ記憶がほとんどありませんし、小学校1年の教科書も何が書いてあるのか、ほとんど理解できませんでした。学生時代は週間の漫画雑誌を1日かけないと読めませんでした(今もですが(笑))。一方で数学や論理的に考えることは非常に得意でしたので、1+1がなぜ2になるのかの説明を先生に求めて授業を止めました。多動傾向もあり教室でじっと座っているのが苦手で、周囲にちょっかいを出したり、窓際の席のときは校庭を眺めて観察したりして過ごし、廊下に立たされれば教室から解放されたと解釈して校庭で遊びだしたりと・・・当時の先生は手を焼いたことでしょうね。

言葉は概念を形成し、認知され、意識させます。その言葉を使っていれば、そのこと自体は無くなりません。だから「発達障害」は封印し、子どもそれぞれに発達に特性があるだけなので、この子の「発達特性」は何だろう?と子どもが得意なこと、難しいことを観察し続けます。

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