【小説】アルテミス
1月24日に発売されたアンディ・ウィアーの新作小説『アルテミス』(早川文庫)上下巻を読んだので感想をメモしておきます。ウィアーの前作『The Martian(火星の人)』はWeb小説からの物理書籍デビュー、次いでリドリー・スコット監督で映画化(邦題『オデッセイ』)し大ヒットというミラクルな経緯を辿ったわけですが、今回はそれに次ぐ2作目の長編SF小説。またしても宇宙が舞台とのことで、発売前から楽しみにしていました。
ちなみに、『火星の人』については以前こちらの記事を書きました。
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月面都市を舞台とした知恵と工夫のDIY群像劇
作品の舞台は人類初の月面都市、その名も「アルテミス」。静かの海…アポロ11号着陸地点にほど近い、5つの半球型ドーム(バブル)を繋げたような形の居住空間に2,000人が生活している。主要産業は観光で、地球からやってくる金持ちを相手にした商売が富裕層を支える一方、肉体労働に従事するのはアルテミスで生まれ育った貧困層と、格差が激しい。地球の法や貨幣は通じず、ある種の独立した自治共同体として成立しているのですね。
主人公は、アルテミス生まれの26歳の女性ジャスミン(通称ジャズ)。ある理由から溶接工の父と仲違いし、非合法の運び屋として最底辺の暮らしをしている彼女のもとに、思いがけない儲け話が転がり込んでくる。それは彼女の技能を生かした破壊工作の依頼なのですが、次第にそれはアルテミス全体の将来を左右する事件に発展することとなり、ジャズと彼女の友人たちは、複雑な人間関係を乗り越えて決死のプロジェクトに挑む…というのがあらすじです。
このように、本作は極めて設定ドリヴンなところのあるSFらしいSFでありながら、クライムサスペンス・アクションの要素もある群像劇でもあります。前作『火星の人』と同様の、綿密な科学考証を下敷きにしたパズルのようなおもしろさを縦軸とすると、前作になかったキャラクター同士の協力や敵対といった駆け引きの要素が横軸となって、より豊かな物語を構成しています。
設定の細かいところでおもしろいと思うのは、何と言っても月面ならではの描写。地球の階段は1段が21cmなのに対してアルテミスでは1段50cmになっているとか、酸素濃度のために気圧を低くしているので水の沸点が61℃でコーヒーがまずいだとか。もちろん食糧事情やその他もろもろの生活様式への言及もその都度入る。これが説明くさくならず、さらっと読めるのは文体のおかげですね。
そう、今回も文体は主人公ジャズによる一人称で、ほとんどワトニーによる独り言ツイートの連続だった前作とまったく同じノリで読めるのでした。
そしてジャズのキャラクターがおもしろい。彼女は、ワトニーによく似た聡明でユーモアのある楽天家なのですが、一方で周囲をやきもきさせるほどに奔放でだらしがなく、本来の賢さをうまく活かしきれていない、まだまだ未熟な女性として描かれます。この話は、独りよがりな彼女が周囲の人間と協力してうまくやることを覚え、大人としてひとつ成長するドラマでもあります。
わたしが住んでいるのはコンラッド・バブル、ダウン15。コンラッド・バブルの地下15階にあるボロいエリア。もしうちの近所がワインだとしたら、ソムリエは「失敗とお粗末な人生設計の香りを含んだクソのような風味」と評することだろう。(p.17)
EVA、溶接、ダクトテープ、溶接…そして、溶接!
描写でアツいのは、やっぱりDIY。特に今回、フェティシズムに溢れていると言っていいほど仔細に、何度も何度も描写されるのが溶接です。溶接マニアの方はきっとテンション上がるのでしょうが、何も知らない私でもタモリ倶楽部的な楽しみかたはできました。ただならぬ溶接愛を感じる。
ジャズは腕利きの職人である父親の影響で溶接のスキルを、EVA(船外活動)マスターであるボブやデイルのもとでEVAのスキルをそれぞれ持っています。そのうえ機械オタクのスヴォボダくんの力などを借りつつ、アイデアと工夫で問題解決にあたる。DIYにあたっては、ダクトテープが(またしても)大活躍します。ダクトテープ万能説!
もちろん、一発で何でもうまくいくということはなく、予想外のトラブルが次々に起こる。時にはビビったり、パニックになることもある。ジャズは決して父や友人たちのようなそれぞれの分野のプロフェッショナルではないけれど、彼女には柔軟な発想力と、どんな苦境をも跳ね除けるユーモアがある。
時にはワーッと悪態をついて冷静になることも大事だと思える
基本的に足を引っ張るようなキャラクターは出てこないので、めちゃくちゃ優秀な人たちがテキパキとプロジェクトに当たる様子が気持ちいいのは『火星の人』と同じです。というか、これはもはや作者のアンディ・ウィアーさん(そして訳者の小野田和子さん)の作家性に因る部分だと思うのですが、前作のテイストにハマった方には間違いなくお薦めできます。
映画化へ向けて
本作は既に20世紀FOXによる映画化も決まっているそうで、言われてみれば、前作よりもはるかに映画向きの構成になっているような気もします。
映像的な見せ場に加え、クライマックスに至る伏線の回収のしかたは見事で、あれがここで効いてくるのか!という驚きが随所にありました。巧いです。
ほかに構成の工夫が効いているなと思うのは、ジャズと地球に住むメル友との過去ログが随所に挟まれて、それが人間関係の説明を補完しつつ、次第に話の本筋と繋がっていくところ。これも、重要な鍵になっていきます。
ところで、映画化するときに一番難しそうなのは、月面の重力の表現だと思うんですけど、どうなるんでしょうね。ずっとフワフワピョンピョンしているわけだし、宇宙船とは違って小規模とはいえ都市なのだし、いかにも難しそう。ましてや、サブキャラクターには「地球の重力から逃れるために移住してきた足の不自由な少女」とかもいるわけなんですけど、そんなの俳優さんも未知の領域の演技ですよね。
なんにせよ、映像で観てみたいと思わせる要素がたくさん出てくる作品です。貧富格差のある多層的月面都市としてのアルテミスの造形はもちろん、ジャズという魅力的なキャラクター。そして、なんだかんだ言いながら手を差し伸べてくれるプロフェッショナルな大人たちも。
同じ舞台の小説続編の構想もあるらしいとのことで、そちらも楽しみです。
noteの早川書房アカウントでは、『アルテミス』下巻に収録されている解説文も公開されていましたので、ご参考までに。
アルテミス(上)| アンディ・ウィアー, 小野田和子 | Amazon
https://www.amazon.co.jp/dp/4150121648
アルテミス(下)| アンディ・ウィアー, 小野田和子 | Amazon
https://www.amazon.co.jp/dp/4150121656/