自分の価値基準を持つことがグローバルで大切な理由
帰国に備え、ありとあらゆるものをネットで売りに出している。これを通して日本人特有の、グローバル環境では足かせとなる価値基準について考察してみた。
シンガポールでは、とにかく皆値切る。例えば$200で売り出しているものを、$150と言ってくる。こちらが譲歩して$170と出せば、$160、しかも「😛😛😛😛」をつけてくる。「これで決着やろ?」みたいな勝ち誇った態度。これはシンガポールでは許せるようだ。もともと中国大陸やインドから金儲けを目的に渡ってきた強者の商売人たちの子孫だからだ。
買う人は、似たような商品を探しながら、複数の売り手に値段交渉するよう。だからドタキャンもしょっちゅうあり。
一方的に低めの値段を言ってきて、「今日の午後取りに行く」みたいなゴリ押しもしょっちゅうあり。そこで押し切られてしまうと、低い値段を飲まされるわけだ。
私は、感覚がわかってきたから、そういうのには負けないしぶとさを身につけた(つもり)。
しかし一度交渉が成立すると、受け渡しはフレンドリーだ。「なぜ手放すの?」「日本人?」「シンガポールに何年いるの?」はほぼ皆が質問すること。みな納得の値段で買えて「ありがとう、ありがとう」を何度も繰り返しながらニコニコと去っていく。
シンガポール在住者の日本語売買コーナーにも出し、買い手が日本人である経験もかなりしている。ここで値段交渉してくる人はほぼいない。そこで一環して観察できるのが、日本人の買い手は、サッとお金を渡して商品を受け取って、素早く去っていく。女性の方なら明らかに「安いものをわざわざバスで時間をかけて買いにきたのが恥ずかしい」と言わんばかり、目も合わせない人も多い。こちらは、買い取っていただいてありがたいのに。
これって、つまり自分の価値基準(どの商品をどの値段で納得して買う)を世間一般と比較しているからではないのだろうか。つまり自分の中に基準を持っていない。常に社会の期待値と比べて自分を評価している。自分が買い取った値段が低いと勝手に自分で思って、それを「恥ずかしいこと」と思っているのだろうか。しかも「社会の期待値」は誰にもわからない。「社会の期待値」を言い換えると「常識の範囲」だ。
売る側も、あまり高く売り出すと「常識がない」と思われるのが日本人の売買コミュニティーらしい。私は気にしない。高ければ売れない。そうしたら値段を下げるだけだ。
周囲に合わせることや、調和することは大事だが、自分の価値基準を他人にゆだねることとは違う。自分の価値基準は自分の中でロジックを組み立てて出来上がるものだ。そこに必要なのがクリティカルシンキング、つまり「自分はこう考えているからこう判断する」と、客観的に自分の思考を理解しているかどうかだ。これは日本以外の人と関わるグローバルに活躍したい人にとって非常に大切だ。日本国内で日本人の中で生活していると、「当たり前」や「常識」の中にいるから、なかなか気付かないことだと思う。日本から出れば、「当たり前」も「常識」も通用しなくなる。
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