見出し画像

記事を引用していただきました!

 相互フォローしているmeronagiさんに記事を引用していただきました。

 
 映画JOKERについて深掘りされているYouTubeなどもたまに観るのですが、meronagiさんは直接関わっている方の中で断トツに深い感想を言い合える貴重なお方です。家族も含め私の周りの人は「殺人ピエロが暴れ回るホラー映画」とか「犯罪を助長する不謹慎な映画」と思っているようで、どんなに良さを熱弁しても観てくれません笑。noteを始めていなかったら誰にも話せないまま終わっていたと思うので、本当にこの場があって良かったです。


※以下映画の内容について触れますのでまだ観ていない方は注意してください※


 meronagiさんと同じように、今回の続編は期待していた内容と違うと感じた方も多いと思います。いよいよJOKERが大暴れして民衆と一緒に狂喜乱舞という内容をイメージしていたかもしれません。でも内容は真逆で「JOKERなんていない」ということが証明されてしまいました(全てが妄想オチではないです)

 前作の公開時に警察が出動したり模倣犯が出たことを考えると、社会的な影響を鑑みてこのような内容にせざるを得なかったのかなと思います。海外では相当酷評されているようですが。

 しかしアーサーという一人の人間について考えた時、もしもJOKERで居続けたら確実にさらに多くの罪を重ねていただろうし、いつか皆が羨望するJOKERと自分自身のギャップに苦しむ日が訪れることは分かりきっています(私は数々のセレブやスターたちが依存症になったり鬱病を患うのも同じ理由だと思います)。それならまだ傷が浅いうちに真実に気がついたことは救いだったのかなとも思えます。

 meronagiさんも記事の中でおっしゃっていましたが、アーサーの元同僚であるゲイリーは身体障害者でありながら他者を攻撃したりはしません。むしろアーサーの優しさに感謝していました。これもある種の残酷な答えなんですよね。つまり「何でもかんでも環境のせいにして好き放題することは許されない」ということ。日本でも流行した”無敵の人”という言葉がありますが、情状酌量の範囲も無限ではないんですね。幼い頃の虐待やその後遺症などアーサーの力ではどうにもできないことも多かったですが、だからといってピエロになって殺人を犯していい理由にはなりません。法廷でアーサーが以前殺害した同僚ランドールについて触れ「君もいびられていたじゃないか!」とゲイリーに伝えると、彼は間髪入れずに「でも殺すほどじゃない」と冷静に即答しているのも印象的でした。こういう違いですよね。それこそがアーサーが気づかなくてはならないものだったと思います。

 映画終盤でJOKERを手放した彼はアーサー・フレックというただの人間に戻り、プレッシャーや執着から解放された状態になりました。きっとそのまま穏やかに安らかに天国に行けたんだと思うしかありません。来世では絶対幸せになってほしいですね。今度こそ心から笑えますように。




 もうJOKERの記事は書くまいと思ったのにまた書いてしまいました。

 meronagiさん、いつも本当にありがとうございます。
よければ次の目標も一緒に探しましょう。


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集