目の前の人に「死にたい」と言われたら?
あなたならどうするだろうか。
実はこれ、看護師をしているとまぁまぁの頻度で言われるのだ。新人の頃は終末期の患者さんが放つ独特の雰囲気や発する言葉が怖く、どう太刀振る舞えばいいのかわからなくて、思わず訪室する足が遠のいたものだ。
「早く死なせてほしい」
「殺してくれ」
「もう生きていたくない」
私は全部言われたことがある。
「死」という言葉が持つインパクトはやはり大きく、「おっと、きたかー」という感じで未だに沈黙してしまう。握った手から相手の苦しみがドクドクと伝ってくるような感覚に襲われる。そりゃ心がいくつあっても足りないわけだ。ヴォルデモート以上に分霊箱を作らないと身がもたない。
辛い状況に置かれた人が死を意識することは珍しくないので、看護教育の現場や緩和ケアのテキストでは必ずといっていいほど対応の仕方を扱う。もしかすると家族や友人から上記のような言葉を言われたことがある人もいるかもしれない。もちろん回答に正解はない。何も返せなければ黙っていてもいいだろう。下手に言葉を並べるよりも沈黙の方が適している場面というのは確実にある。死という言葉にびっくりしたのなら、そのまま伝えてはどうだろうか。「そこまで思い詰めているとは思わなかった」「そんなに苦しんでいるなんて知らなかった」と。いずれにしろ相手の渾身のSOSをしっかりと受け止めたことを伝えられれば、それで十分だ。相手に生きていてほしいなら「あなたには生きていてほしい」「いなくなったら悲しい」。飾る必要なんてない。そのまま伝えよう。
弱音を吐くな、しみったれたことを言うな、と叱り飛ばしたくなるかもしれない。弱気になっている相手に対して喝を入れたくなるかもしれない。でもどうか忘れないでほしい。死にたいと言う人は死ぬほど頑張ってきた人だ。「私だって同じような経験をしたけど乗り越えたよ」というのも全くのお門違いである。あなたが越えた山は今の場所から振り返れば小さく見えるだろうが、相手はまだ山の麓にいるか、もしくは中腹で倒れている状態なのだ。そしてそもそも、あなたとは違う山に登ろうとしている。
そしてもう一つ、私がどうしても伝えたいことがある。
その人はもしかしたら「あなただから」打ち明けたのかもしれないということだ。
死んでしまいたいほどに辛い気持ちを、きっとあなたなら受け止めてくれるだろうから、分かってくれるだろうから、あなたを選んで打ち明けたのかもしれない。これは今まさに戸惑っている医療職や介護職の皆さんにも伝えたいことだ。だから可能なら感謝を伝えよう。「勇気を出して言ってくれてありがとう」「正直に言ってくれて嬉しい」と。こんな極限な状態でも誰かから感謝されるという経験が、相手を絶望から救うかもしれない。
人間は本来、自ら死ぬようにはプログラムされていない。大量出血などの緊急事態が起こるといわゆる「ショック」と呼ばれる状態となり、手足などの末端の血流は犠牲にして脳や心臓の血流を維持しようとする。つまり本人の意思とは関係なく、あなたの体は何とかして生き延びようとする。実際の医療現場で何度も目にしたことがあるが、火事場の馬鹿力ともいえるこの生命力には目を見張るものがある。だからこそ「死にたい」と自ら思うことやその言葉には、尋常ではない重みを感じるのだ。
自殺者が増える現代社会。あなたもいつの日か、誰かの最後の門番になるかもしれない。そのSOSにどうやって答えるか。これからも考え続けたい。
※注意※
痛みや息苦しさ、吐き気や不眠といった症状が死にたい気持ちを引き起こしている場合は症状のコントロールについて再検討が必要です。繰り返す希死念慮(死にたいと思うこと)がある場合は直ちに専門家の介入が必要です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。