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家で死ぬのってアリ?現役訪問看護師は語る。

 お疲れ様です。エポナです。

 ここ最近は転職で必要な履歴書と職務経歴書の作成に追われていました。自分とまっすぐ向き合う時間はやはり苦しいですね。唸りながら文章をひねり出していたので、noteを書く気力が残っていませんでした。

 志望動機などを書いていていくつか感じたことがあるので、覚え書きとして記事にしてみます。


1. どこで死にたいか

 唐突ですが、皆さんはどこで死にたいですか?
病院や施設で医療スタッフに囲まれていた方が安心しますか?そう答える方も一定多数いるので全然おかしなことではないです。一方で「住み慣れた家で愛する家族に囲まれて死ねたら本望だ」と思っている方も多いのではないでしょうか。

 私は今、その希望を叶えるお手伝いをしています。

 つい先日も目の前で息を引き取った患者さんがいました。一斉に泣き出す家族。「大好きだよ」「ありがとう」と頬を寄せて何度も何度も声をかけていらっしゃいました。

 病院に入院中であれば、血圧や心拍が低下してきた段階で家族に連絡をします。夜中に息を切らして病院まで駆けつける家族。病室に通され、そこにはもう虫の息となった愛する人が。どうしたら良いのか分からずそわそわしていると、ピーッと心電図モニターの音が鳴り響き、旅立ったことを知ります。

 家では全然違います。

 自宅で看取ると決心した家族は、日夜慣れない介護に奮闘します。ベッドの上で着替えさせる方法やおむつ交換の仕方を看護師と一緒に練習します。点滴の交換や痰の吸引もご家族で出来るようになります。そして何より大切なことは、日に日に弱っていく相手を見て、永遠の別れが近づいていることを肌で感じることです。病院に入院していてはこの感覚が得られません。自ら介護をすることで、残される側も心の準備をするのです。これは死の衝撃を和らげるのに大いに役立ちます。

 亡くなった後は、ご家族と一緒にご遺体の身体を拭いたりメイクをします。本当にすごいことなんですが、このときご家族はとてもとても穏やかな表情をされています。「お父さん実は若い頃にね…」「母は昔から…」決まってこんな話を看護師にしてくれます。「そういえば〇〇っておっしゃってましたよ」と看護師が伝えると、一度乾いたはずの涙がまた溢れてきたり。

 ご家族は患者さんと残された時を共有することで、死にゆく過程に寄り添い、恐れずに語らい、自らの気持ちに整理をつけていきます。最後の方は夜もゆっくり休めないので体力的にもしんどくはなりますが、出来ることは全てやったという満足感は確実に別れの辛さを和らげます。

 病院では亡くなった方に着せる浴衣は全員お揃いでしたが、自宅ではバリュエーション豊富です。いつも仕事で着ていた背広、ハワイで買ったワンピース。向こうの世界へ旅立つために実にその人らしい”一張羅”に着替えます。ご遺体を見つめる家族のどこか誇らしげな顔がいつも印象に残ります。

 もちろん介護をしてくれる家族がいないと自宅で死ねない訳ではないですよ。独居の方でもヘルパーさん(訪問介護)などのサービスを組み合わせることで、最期まで自宅で過ごすことは可能です。なので私と同じ独身勢も希望を捨てずにいきましょうねw


2. 何でもない日々の積み重ねってすごいこと

 一日として同じ日はありません。ベタだけど人生で今日が一番若いんでよすね。一日一日、私たちは死に近づいています。介入当初はまだ元気だった患者さんを何人も見送ってきました。「もっといろんな話を聞きたかったな」とふとした瞬間に思い出しては寂しくなりますが、もう帰ってこないんです。先週と同じだな、元気そうだな、と看護師が思っても、その方は(自分もですが)1週間分歳をとっている。だから厳密には同じだなんてことはない訳です。

 日々を刻むということ。何でもない日を積み重ねて、それがいつしか生きた軌跡になって、ある日終わりを迎える。みんな当たり前にやっているけど、私はすごいことだと思います。その途中で見た景色、会った人、頑張ったことはかけがえのない財産です。

 病気の人と接してお看取りまで関わると、こういった”時の連続性”を否が応でも実感します。あの日交わした会話も見せてくれた笑顔も、全てはこのお別れの伏線だったのかなとも考えますし、でも私が忘れなければ決して色褪せないのかなとも思いますし。

 諸行無常。決して待ってくれない時の流れは残酷でもありますが、救われることだってありますよね。時間が経って自分が成熟することで赦せるようになることも多くあります。何があっても問答無用で時は過ぎていき、その先には平等に死が待っています。どんな人生を送っても最終的には死ぬ。これは愚かな人間のために神様が用意してくれた唯一の救いなのかもしれません。



 とりとめのない話になってしまいましたが、訪問看護の志望動機を考えている途中で浮かんできたことを書いてみました。患者さんやご家族が持っている「力強さ」にはいつも胸を打たれます。言葉では言い表せないほど圧倒されますね。そしてその力は自分の中にもあるのだろうか、なんて考える日もあります。

 私はひとまずもう少し訪問看護を続けていくつもりです。もしも皆様の周囲に具合の悪い方がいたら、在宅療養という選択肢があることをぜひ教えてあげてくださいね。そして在宅看護に興味のある看護師さんがいましたら、勇気を出して一歩踏み出してみてください。今までの看護観が刷新されますよ!!私でよければいつでも相談に乗りますのでご連絡ください。


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

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