リーダーシップと憂鬱

前回の更新から約1か月も空いてしまった。

書きたいことは沢山あるのだが、9月で会社を辞め環境が大きく変わったことで心はフワフワした状態。身体はシンスプリント発症でテンション爆下がり。書くことに正面から向き合うことができないでいた。

今考えると、正面から向き合う必要はなかったように思える。私は作家ではないし、向き合ったところで立派な記事が書けるわけではない。文章量にこだわらず毎週更新することを優先すべきだ。以降気を付けます。


今回のテーマを選んだ理由

今回のテーマはずっと温めていたテーマだった。
私はリーダーという言葉が好きではない。リーダーには向いてないし、やりたくないと思っている。

思い返せば、小学生のころはリーダーになるのが好きだった。
そこから年齢を重ねるうちにリーダー特有の憂鬱さを感じ嫌いになっていき、いつしか立候補しなっくなっていた。
社会人になってからは、昇進がこれに当てはまると思うのだが、これまた拒否し続けていた。

一方で、社会人になってからボランティアとして少年サッカーの指導者の活動を12年続けている。

「会社ではリーダーやらないくせに、なぜ少年サッカーでは指導者という立場で、しかもボランティアで活動できるのか。」

仕事を通して出会う様々な人に突っ込まれる質問だ。
取り組む上での姿勢は両者の間で変えているつもりはないのに、私はそれに対しての明確な説明ができなかった。

リーダーシップの旅

おなじみのPodcast『スポーツが憂鬱な夜に』でユーフォリア社の橋口さんが紹介していたのをきっかけで手に取ることにした。

リーダーシップという言葉にアレルギー反応を起こす私がなぜ「リーダーシップ」という言葉がタイトルに入っている本を手に取ったのか。このPodcastに出てきた本という安心感があった。世の中で持て囃されている「リーダーシップ」に一石を投じる内容であると確信して読み進めた。

リーダーシップは資質なのか?

ビジネス界を見渡すと、偉大なリーダーは沢山いる。
読者の皆さんも「尊敬するリーダーといえば誰?」と聞かれたら、一人や二人はすぐに名前が出てくることだろう。事業会社の社長、スポーツ選手や監督など。「リーダーシップがある」人は生まれながらにしてその資質に恵まれ、運命的に「リーダーシップ」を発揮する機会に出会う。結局世の中そんなものだろうと思っていた。

『桃太郎はいつリーダーになったのか』
本のなかで出てきた問いに、私はハッとさせられた。桃太郎は鬼ヶ島で鬼が暴れているという問題を知り、居ても立ってもいられず未開の地である鬼ヶ島を目指す。道中で犬や猿、キジなどが桃太郎に話しかけてきて、桃太郎の仲間に加わる。きびだんご1個が報酬だ。桃太郎は最終的に目標であった鬼退治を達成する。

つまり、リーダーシップは予めその人の資質としてあるものではなく、何かを達成したときに後付けとして付与されるものであるといえるのではないか。この例え話は、重度のリーダーシップアレルギーの私には特効薬のように効いた。

私とリーダーシップの出会い

24歳で入社した会社は、急成長中のベンチャー企業だった。
結果さえ出せば年齢や社歴に関係なくリーダーやマネージャーに昇進できるという点に魅力を感じていた。

業界・職種ともに未経験で入社した私は、最初は何もできない。
直属の上長であるリーダーは、日々の私の行動を管理し、週ごとの目標を達成するように導こうとしてくる。一方で当時の私は「頼むから放っておいてくれ」と思っており、反抗的な態度でリーダーに意見をした。その結果面談ルームに閉じ込められ、叱責されることもあった。

その後、プレイヤーとして事業部で売上No1を2年連続で取ることになる。
当然リーダーやマネージャーから、昇進の話を持ち掛けられるようになった。しかし、上司たちの期待とは裏腹に私は固辞し続けた。

理由は2点ある。

1点目はできない人をできるようにするのが仕事であるという点である。
直属の上司たちはいつも忙しそうで、リーダーは自分の個人数字だけでなくチーム全体の数字の達成を求められる。できないメンバーのフォローにリソースを割かないと評価されない。そこで私は、できない人に合わせて仕事をするくらいなら一人で黙々と仕事をするほうがましだという判断をした。

2点目は報酬に見合わないからだ。
上記の仕事を完遂し目標達成をしたとしてもインセンティブの額は微々たるもので、管理職の手当を含めても一般社員のほうが稼げる仕組みになっていることに気づいた。

前置きが長くなったが、私がリーダーシップやマネジメントに対して感じる違和感はこの原体験によるところが大きい。

リーダーシップとマネジメント

『リーダーシップの旅』を通して、私はリーダーシップとマネジメントを混同していたことに気づかされた。同時にこれは私だけでなく、日本全体の問題であると感じた。

リーダーシップとマネジメントの違い

私たちは普段何気なく、リーダーシップとマネジメントを混同して使っていないだろうか?

先ほどの私の原体験を例にすると、そもそもマネージャーの下の階層にリーダーという役職がある点に違和感を覚える。マネージャーがチームを漸進的に成長させるためにメンバーの「見えるもの=数字」を管理し、目標達成に向けてサポートし、リーダーは組織を次のステージに導く変革を先導していく存在であるべきである。

また、サッカーでも監督にリーダーシップとマネジメントの双方を求める傾向があるように思う。冒頭で私は少年サッカーの指導者(=リーダー)を12年しているという話をしたが、実際に毎週行っていることはマネジメントの要素が大きい。

リーダーシップとマネジメントは全く別のものであるものの、マネジメントの中にリーダーシップの萌芽をみることができる。しかし、多くの人はマネジメントからリーダーシップへの旅に出られず、リーダーになることができないでいる。やはりリーダーは特別な資質が必要なのか。
それともマネージャーの沼にハマってしまう原因が別に存在するのか?

アクティブ・ノンアクション

企業や組織の中核として働くようになると、毎日忙しく充実感を感じる。社交的で、仕事を超えたネットワークも広い。その一方で本当に必要で意義があり、真の充足感をもたらしてくれる何かについては、まったく達成ができていない状態。夢や志へ向かっているように見えて(アクティブ)、実は何の行動もしていない(ノンアクション)。

組織の中で信用が蓄積されればされるほど、新しい会議やプロジェクトへの参画を求められるようになる。周囲からの要望や組織からの要求をはねつけるのは難しいし、必要とされている自分自身も悪い気持ちは感じない。これこそリーダーシップへの旅を阻害する一番の要因であるように思う。

加えて、アクティブ・ノンアクションにはモメンタム(慣性力)がある。
何か新しいことに挑戦したり、創造したいと思ったとしても、日々の忙しさを言い訳にして、それから逃亡する。ここにアクティブ・ノンアクションの問題の核心がある。

リーダーシップの旅の第一歩

『リーダーシップの旅』の著者である野田さんと金井さんは優秀なマネージャーほど、このアクティブ・ノンアクションの状態になりやすいとっ指摘している。では、この状態を抜け出すためにはどうすればよいのだろうか?

前回の記事の中でまとめた『衝動』を見つけること。
これこそがリーダーシップの旅への第一歩なのではないだろうか?

さいごに

いざ書こうと決心した結果、一気に3000字書くことができた。
やればできるんだから、やらないと。
最近、いろんな本を読んでいくと読んだ本と本がつながっていく感覚が
面白い。『リーダーシップの旅』はマジで名著。合宿でもう1回読み直す。

今回も素人の駄文を最後まで読んでいただき有難うございます。
今後ともよろしくお願いいたします