コロナに罹患した記録
はじめに
2024年1月6日に新型コロナウイルス感染症(以降、コロナ)に罹患し、両親のいる実家で療養した。本記事は、そのときの体験を記録したものである。
記録
2024年1月1日
能登半島の地震が起きたとき、帰省のため新幹線に乗っていた。ちょうど愛知県の真ん中辺りを走っていた。停電で急停止した。すぐに送電が再開し、新幹線は走り出した。この復旧の早さには感動した。
1月2日
母と初詣に行き、その後半日ほど買い物で歩き回った。このとき、かなり消耗していたのかもしれない。
1月3日
一日中眠気が取れず、ほとんど寝て過ごした。午後には夕飯の買い出しを手伝うため、片道30分のスーパーまで歩いたが、その帰りには体調に違和感があったと思う。
1月4日
一日家族で出かけた。昼間は元気だった。しかし、夜から悪寒が止まらず、熱が上がった。改源を飲んで寝たが、明け方まで39℃が続いた。
1月5日
明け方にロキソニンを服用し、熱が平熱近くまで下がり午前中は比較的楽になった。最寄りの内科に行った。クリニックの前に着いてから電話で到着を伝え、順番が来てから中に入れてもらった。インフルエンザ検査は陰性。普通の風邪としていくつか薬を処方してもらった。
1月5日午後〜夜
全然よくならない。内科で処方された解熱鎮痛剤もあまり効かないようだった。夜中、熱でのぼせていたが、冷えピタや氷まくらはなかったので、スリープ中のMacBook Proに頭を乗せてその代わりとした。
1月6日
寝起きからとても喉が痛かった。唾を飲み込むのも痛い。耳鼻咽喉科でインフルエンザとコロナの検査を受け、コロナ陽性と診断された。コロナの薬は高額のため処方を希望するか確認された。処方してもらうことにした。「パキロビッド」という薬だ。5日分で約1万円だった。
1月7日
熱はほぼ平熱に戻り、たまに微熱程度。すべての食事を味付けのないものにしてもらった。ただ、やたらお腹が空く。吐き気のようにも思える不快な空腹感に襲われて眠れなかった。喉と鼻は、のどスプレー、鼻うがいキット、そして元々家にあったうがい薬でだいぶスッキリすることがわかった。熱が上がらなくなったので、入浴した。
1月8日
前日の入浴のおかげか、平熱が安定してきたからか、6〜7時間くらい眠れた。一日中熱が上がらず、喉の痛みも少しマシに感じた。慣れただけかもしれない。手洗い・うがいだけでなく、鼻うがいも習慣になった。鼻水も青鼻に変わってきた。うすい味噌汁くらいの味付けなら食べられるようになってきた。早く自宅に帰りたいが、まだ外出が許されない。
1月9日
父がコロナ陽性になった。自分は痛みを意識せず話せる程度になった。業務開始。体調は問題なかったが、単純に休暇から仕事に戻るのが億劫だった。頭がずっと痛かった。
1月10日
9時間くらい眠れた。頭も痛くない。
1月12日
頭が痛すぎて仕事を早退した。
その後
コロナの症状は徐々に収まったが、「ブレインフォグ」のような感覚が1ヶ月くらい続いた。
喉が痛いときに食べたいもの
飲み込むだけで痛い。味付けされたものが滲みる。特に塩味、辛味、酸味。味噌汁もダメだった。味付けされていない、飲み込みやすいものが嬉しかった。
白ごはん
ヨーグルト
素の豆腐(何もかけない冷奴)
味付けされていない加熱された野菜
また、のど飴やゼリーも栄養補給やのどを潤すのに良かった。温かいお茶に蜂蜜を入れたものも喉に優しかった。
喉の痛みを和らげるためにやったこと
うがい薬でうがい
声を出さない(筆談やジェスチャーを使う)
口で息しない
乾燥しないように加湿器などで加湿
家族のいるメリットと注意点
たまたま帰省中に発症したため、家族の存在が助けとなった。
メリット
家事を任せられる
希望の食事を作ってくれる
家族への配慮
食事を隔離する(自室のほうが自分も気楽に食べられる)
部屋の中でもマスクを着用し、無駄に話さない(そもそも話せない)
精神的に辛かったこと
自分が食べ終わるのを待たれている(食事の時間をずらしていた)
ずっと寝ているので着替えなくていいと思われている
入浴をなかなか許してもらえない
一方的に話しかけられる
特に、はい・いいえで答えられない質問
さいごに
これからも、健康的な生活と感染症対策を心がけていきたい。そして、まだまだ元気な両親に感謝。