文系の人間が考える中学受験算数
私は所謂「私立文系」の人間で、恥ずかしながら高校2年の1学期終了と同時に数学を完全に捨ててしまった人間である。
17歳。40代も半ばを過ぎた今から考えると、えらい思い切った選択をしたものだと思う。
現在は海外に住む日本にバックグラウンドがある子どもたちの学習に携わっているが、海外から中学受験を目指す家庭も少なくない。
多くの学校が「帰国生入試」「海外入試」という制度を設定しているのが、その事実を物語る。
もちろん、中には帰国生入試だけでなく、一般受験で開成などの最難関校を受験する生徒の指導に携わることもある。
私自身も中学受験を目指す生徒に毎年関わっており、主には国語・社会という文系科目を担当している。中にはインター生や現地校生が中学受験を目指すことがあり、英語を交えた受験を選択することがあるので、その指導も行なっている。
ちなみに、中学受験の英語が、レベル感としては大学受験、または英語圏での「国語」のイメージである。
そんな文系の私が、受験クラスの算数を担当することがある。また実際に問題を解いたりすることもある。
文系視点から見た中学受験算数とはいったいどういうものなのだろうか?
結論から言うと、「学ぶチャンスがあるのならぜひ学ぶべき」である。
受験もしないのに、開成や灘といった最難関校の算数を学習する必要はないが、少なくとも小4・小5で網羅する各単元の基本〜標準レベルの問題に取り組むことは絶対に損にはならないと思う。
なのに、この内容を中学受験の学習を意図的にやってない子どもたちは触れることもないというのは、もったいなくないか?
世間一般では中学受験の学習を「悪」と見ることも少なくない。
確かに、近年の首都圏最難関校の算数は「やり過ぎ感」があるのも確かである。
ただただややこしい問題。そりゃ、塾の先生や一部の算数大好きっ子が解いたら楽しいかもしれないが、これは入試である。
「そんな問題を解けなきゃ、その子の力が本当に測定できないのか?」「本当に、こんな問題を解けるに来てほしいと思っているのか?」と思うことも少なくない。
その部分に焦点を当てると、確かに「悪じゃね?」と思うのも分かる。
しかし、だからと言って、中学受験で扱う学習そのものを否定するのは、それも違うと思う。中学受験の算数が持つエッセンスは、算数大好きっ子じゃないと楽しめないものではない。
それぞれの学習内容自体は、遊び心があり、一見複雑に見えるものをシンプルに可視化するプロセスが何ともうまく組み込まれたものである。
しかも、基本〜標準レベルの内容であれば、ある程度練習したら誰でも分かる内容であるのも確かである。
ただ、初見で自力で何とかしようと思うと何も分からない可能性が高く、ハードルは高いのも確かだ
。だからこそ、それを教える人間の力がもろに出る内容でもある。講師の目線で言うと、いくらでも楽しく授業ができるぞと思う。
ちょっと固い言葉で言えば、「論理的思考」「可視化」「忍耐力」「問題解決力」と言った、社会人教育でも求められる力を、これほど楽しく身につけられる題材はそうそうないように思っているのだが、違うだろうか?
「なんで小学生の時にこんな学習をさせてくれなかったんだ!」と、少し親を恨む気にもなったくらいだ。
確かに負の側面があることも否定はしない。しかし、負だけで構成される物事ってそうそうないだろう。
中学受験の算数も同じ、子どもたちの成長に大いに貢献するプラスの要素もたくさんある。なので、もしチャンスがあるのなら、チャレンジしてみるのも悪くないと思う。
そこで大切なのは、大人がどう関わるかだ。
決して「勉強(強いて勉める)」にならないように注意しないとならない。