タイとぜんざい🇹🇭🫘深いような深くないような関係
先日、和歌山市のワット・パー・サマナウォン寺院のソクラーンに闖入させていただき、物凄い量のタイご飯やらデザートやら、ビールやら、いただきながら、お経も聴かせて(参加させて?)いただいたのだけど、みんな合言葉を唱えている。
とりあえず意味が分からなかったので、Google先生に尋ねてみたら「ぜんざい」だった。
ますます意味分からなくなった。
タイ寺院の合言葉「サートゥ」
タイの方「お坊さんが喋ったら、サートゥ言っとき!」
私「はい!わかりました!意味は?」
(ていうか?サートゥって言っとる?サープゥって言っとる?)
タイの方「わかったとか、信じますとか、ってことな」
タイの方「ありがとうございます、な!」
とりあえず何かありがたいお言葉のようなので、何と発音しているかも分からないまま1日「サープゥ」と言いながら過ごす。
帰ってお土産をいただきながら、夫に「結局どっちだったと思う?」と尋ねると「微妙だったけどサートゥじゃない?」と言われる。
私「サプナ(平和)とかサティ(知恵)とか、(菩提)薩埵(と訳すとは思えんけど)ゴーッド!みないな感じかねぇ?」
夫「わからんねぇ。わからんままにわかったとか連呼したことだけは間違いないねぇ。バチが当たるかもね。」
違いねぇwww
言葉は訛って行く
お釈迦さまはバチを当てるとか、そういう人では無かったと思うけど、世の中何があるか分からないので、念のために何と言っていたのかぐらいは分かっておこうかと思う。
と言うわけで、仏教が生まれたインドからタイ→中国→日本へと善哉(ぜんざい)の行方を辿ってみた。
サドゥー(sadhu)→サートゥ(สาธุ)→善哉(shàn zāi→ぜんざい→よきかな)
この順番で伝わったわけではないと思うけれど、仏教が極東の日本まで大移動してくる間に、少しづつ音が変わって行くのが面白いし、ちょっと意味が分かる感じになってきた!
サドゥー(sadhu)
ヒンドゥー語やパーリ語で僧侶を指す言葉。
確かに「サードゥ!」とか言いながら人が歩いているのは見たことある。
サートゥ(สาธุ)
タイ語で同意を表す言葉。
お坊さんからも信者さんからも両方向に使えるらしい。先日のソクラーンでは、基本信者さんからお坊さんに向かって「サートゥー」と言っていた。
善哉(shàn zāi)
中国語で「良いなぁ」を指す言葉。
お坊さんがお弟子さんを褒める時に使うそう。
ちなみに、中国語でぜんざいは「(加年糕片的)小豆汤、小豆粥、红豆汤」との注釈があった。
やっぱりみんな調べては「ぜんざい?ん?」と思っているに違いない。
善哉(ぜんざい→よきかな)
日本語でぜんざいと言えば、もちろん甘くて美味しいお餅の入った、アレだと思う。
仏様に帰依するよっぽどの人でも、この漢字を見たら「甘いもん食べたいなぁ」と思うんじゃないだろうか。
仏教用語でぜんざいは同意を表したり、褒めたりする言葉。
お坊さんがお弟子さんに使うことが多いそう。
訓読みすると「よきかな」、意味はつながった!
スイーツ「ぜんざい」の語源
あれ?だからどこで「ぜんざい=スイーツ」になったんよ?
仏教説① 一休さん
こうして行方を辿った「サートゥ=善哉」がスイーツぜんざいの語源という説もあるそう!
スイートなぜんざいを食べた一休さんが「善哉此汁!(よきかなこのしる、このスイーツうんまあぁあ!)」と言ったのが、スイーツぜんざいの語源だとか。Wikipediaさんより
仏教説② 江戸っ子がぜんざいを愛しすぎている
お坊さんが「けっこうけっこう」と言う時に使う「善哉」が、いつの間にかけっこうなもの全般を指す言葉として使われ始め、キングオブ結構なものとして定着したのが「スイーツぜんざい」(江戸中期)
高価な砂糖たーっぷりで、特別な日にしか食べないお餅まで入ったぜんざい。当時は超高級スイーツだったことは想像に固くない。
そりゃ一休さんでも、ぜんざいぜんざい言ってしまうわ。
耕雲寺さんのブログより
神道説 出雲大社の神在餅
全国の神様が旅行に出かけ、神社がすっからかんになるのが10月神無月。
神様たちはみんな出雲大社にあつまるので、出雲だけは10月を神有月と呼ぶけれど、その神有月のお祭りで供された「神在(じんざい)餅」がぜんざいに訛ったとも言われている。
Wikipediaさんより
ありがたき、ぜんざい
その他色々な伝承があるようで、やっぱり有名なのは一休さんと出雲大社だけど、私はぜひとも、ぜんざいはキングオブけっこうなもの説を推していきたい。
そしてぜんざいを食べるたびに「サートゥ(ありがたやぁ)🙏」と唱えようと思う。
いや、まぁぜんざいはサードゥの日本訛りだから、「ぜんざーい!」って言ったらありがたいっていう意味になるのか。
いや、世の中なかなかありがたい言葉に溢れてるなぁ。ぜんざいぜんざい。