「字義通りの解釈」の危険性
はじめに
昨今、多くのクリスチャンが、聖書を字義通りに解釈することに執着し、それを唯一の正しい聖書解釈法だと信じています。
これについて、聖書から慎重に確認してみましょう。
聖書のイスラエルとは
聖書を字義通りに解釈する人々は、聖書のイスラエルを自分たちのこととは考えません。
彼らは、ユダヤ人と異邦人を明確に区別し、ユダヤ人だけが神の民イスラエルだと認識します。
まずは、そのような区別が今もあるかどうか、聖書から確かめてみましょう。
このとおり、区別はあります──と言ったら、驚きますよね。
そうです。聖書は、もはやユダヤ人と異邦人の区別はないと言っているのです。
これは聖書の一貫した教えです。
これを字義通りに受け取らない理由があるでしょうか。
たとえ神学者がこれを隠そうとも、聖書の真実は変わりません。
もはやそのような区別はないのです。キリストが隔ての壁を取り除き、二つのものを一つにしたからです。
このとおり、神の民が二つあるのではありません。
それは一つだと聖書は何度も教えているのです。
神の民イスラエル
神の民は一つであり、それを聖書はイスラエルと呼んでいるのです。
それはアダムから始まりましたが、人類の堕落を見て、神は一人の人、アブラハムを選ばれました。
これがのちに、イスラエルと呼ばれるようになるのです。
しかし、その全部がイスラエルなのではありません。
このとおり、聖書の言うイスラエルとは、血縁関係のことではありません。
心に偽りがなく、真理に属する人のことを、聖書はイスラエルと呼んでいるのです。
イエス・キリストに従わないイスラエルなどいません。
従わない者は、とっくに民の中から滅ぼし去られています。
これが聖書の言うイスラエルです。
キリストに従って実を結ぶ人に、この名が与えられるのです。
この国籍は、人が与えるものではありません。神が与えるものです。
この恵みを信じますか?
信じて自分をイスラエルだと認識できた人だけが、新約を受け、神の民となるのです。
あなたは神の民となっていたでしょうか。
目に見えるもの
私たちは目に見えるものに弱い傾向があります。
もしも、聖書に出て来るカナンの地に「イスラエル」という名の国が建国されたらどうなるでしょう。
わかりきったことです。多くのクリスチャンが、聖書の教えを捨て、これこそ本物のイスラエルだと思うようになるでしょう。
サタンはそれを知っていたので、1948年、中東にイスラエルという名の国を建国したのです。
これに騙されてはいけません。それは私たちを惑わすためにサタンが建国した、偽のイスラエルです。
もう、場所や名前、血筋や割礼に惑わされてはいけません。
重要なのは、キリストによる新生です。そのような人を、聖書は神のイスラエルと呼んでいるのです。
聖書の正しい解釈法
聖書を正しく解釈する唯一の方法は、聖書を聖書によって解釈することです。
このように、聖書の言葉の一つでも、その連れ合いを欠くものはないと保証されているのです。それを見つけて読むようにと主が命じておられるのです。
その一例を見てみましょう。
字義通りに読む人は、これをエルサレム神殿の崩壊と結び付けるでしょう。
実際、紀元70年、エルサレムの神殿は崩壊しました。けれど、それは予行演習、またはサタンのフェイクに過ぎません。
なぜなら、主が言われたのは、世の終わりのことだからです。
世の終わりに起こる「神殿の崩壊」とは何でしょうか。
聖書が聖書を解説してくれます。
神殿とは、イエス・キリストの体です。
そしてキリストの体とは、教会のことでもあるのです。
ここから、世の終わりに起こる「神殿の崩壊」とは、「教会の崩壊」を指していると考えることができます。
このように、聖書のほかの箇所を調べ、その連れ合いとなる聖句を見つけることを、聖書自身が命じ、保証していることを覚えてください。
神の宮
字義通りの解釈にこだわる人々は、「神の宮」を自分たちのこととして読みません。
それで、次のような聖句を見て、未来に「第三神殿」が建設され、そこに不法の者が座すと考えるのです。
しかし、パウロの言う「神の宮」とは、そういうものではありません。
「神の宮」とは、私たち教会のことです。
すなわち、
教会の中に不法の者が座して、自分は神だと宣言すると書かれているのです。
もう、誰のことだかわかりますね。
そう、ローマ教皇です。誰もがピンとくるはずです。
もちろん、プロテスタントの創始者たちは、このことを叫んでいました。
それなのに、今や誰もこのことを叫びません。牧師も神学者も、一様に口を閉ざしています。
おかしいとは思いませんか?
不思議だとは思いませんか?
それどころか、「ローマ教皇こそ不法の者だ」と教えるなら、奇抜な意見、突拍子もない話として、馬鹿にするプロテスタントさえいるのです。
このような無知は、一体どこから来たのでしょうか。
彼らは一体、何にプロテスト(抗議)しているのでしょうか。
サタンがそのように仕向けたのです。
不法の者の正体を隠すために、時間をかけて神学を汚染してきたのです。
そのせいで、もはや真理は曲げられ、第三神殿という架空の建物まで作り出される始末です。
これに目を向けることは、私たちを盲目にする危険があります。
もしもサタンが、本当に第三神殿を建ててしまったらどうなるでしょう。
そうなったら、もう誰も彼らの目を覚まさせることはできなくなるでしょう。中東イスラエルが建国されたときと同じように、多くの人が、目に見えるものに惑わされ、自分が神の宮であることを忘れてしまうでしょう。
だからこそ、今、お知らせしているのです。
どうか、この機会を逃さないでください。このことを嘲笑わないでください。慎重になって、命に至る狭い門を見いだしてください。
あなたが真理に立てますように、心からお祈りしています。
おわりに
「字義通りの解釈」がすべてではありません。
聖書は多くの譬え、比喩、黙示で満ちています。
それなのに、「字義通りの解釈」にこだわるあまり、多くの真理が歪められてはいないでしょうか。
どうか、冷静になってください。
目に見えるものや、人の意見に惑わされず、聖書に何と書いてあるかを確かめてください。
思い込みを捨てて、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
(気に入った記事はSNSでシェアしていただければ幸いです)
こちらの記事も参考にどうぞ。