はじめに
次にイエス・キリストが来られるとき、世界はどんな状態にあると思いますか?
大患難のせいで、世の中は混乱しているに違いない、そう思うでしょうか。
映画や小説で、そのようなシーンを見たよ、そう言うでしょうか。
それはサタンのもたらした偽の情報かもしれません。
今、思い込みを捨てて、聖書がどのように教えているかを見てみましょう。
聖書の教える再臨直前の状態
いかがでしょうか。
思っていた印象とずいぶん違うかもしれません。
けれど聖書によれば、人々はその瞬間まで平常どおりの生活をしており、何も気づくことはないのです。
何もない日常に、突如、滅びが望むのです。
間違いありません。人々が平常どおりに生活し、「平和だ、安全だ」と言っている矢先に、突然の滅びが彼らを襲うのです。
大患難はどこへ行ったのか
「それなら、再臨の前にあるという大患難はどこへ行ったのか」そう思う方もいるでしょう。
これについて、主は次のように言っておられます。
よく見てください。
大患難とは、私たちの「体」を脅かすようなものではないのです。
大患難とは、私たちの「救い」を脅かすようなものなのです。
本当の大患難
「その期間が縮められないなら、救われる者は一人もない」という大患難とは何か、想像してみましょう。
それはクリスチャンを激しく迫害することでしょうか。
そうだとしたら、むしろ真の信仰者を大量に生み出す結果となるでしょう。
では、天変地異が起こることでしょうか。
それもやはり、真の信仰者を生み出す結果となるでしょう。
いずれにせよ、聖書の語る再臨直前の状態と食い違います。
それなら、人々が気づくことなく、救われる者が一人もいなくなるほどの大患難とは、一体何でしょう。
それはこうです。
サタンが偽の教えを撒き散らし、教会がそれに引きずり込まれて眠ってしまうこと。
これが大患難の正体です。
考えてもみてください。
永遠の命を持っていると言いながら、じつは死んだ状態にさせられている。
救いの確信はあるのに、じつは救われていない。
これほどひどい攻撃があるでしょうか。
間違った教えが撒き散らされる
そのようなことは、すでに預言されていました。
また、こうも言われています。
耳障りのよい話とは何でしょう。作り話とは何でしょう。
それはずばり、「律法とは無関係の救い」です。
現に、そのような教えが教会の主流派を占めています。
注意してください。
それはパウロ書簡を曲解した、滅びの教えです。
毒麦の正体
律法に背く人を、聖書は「不法の者」と呼びます。
サタンの蒔いた毒麦とは、じつに、人々に不法(すなわち律法違反)を行わせることなのです。
実際、現代の教会を見ると、十戒を守る人と、守らない人が、ともに畑で育っています。
「そんな指摘をしなくていい。毒麦を抜かないように教えてるじゃないか。何が正しかったかは天国で教えてもらえるんだ」そう叫ぶ人がいます。
とんでもないことです! よく見てください、毒麦は倉に納められず、火で焼かれてしまうのです。
「収穫まで両方とも育つままにしておけ」とは、収穫する天使に向かって言っているのです。
この猶予期間のあいだに、私たちは熱心に悔い改めねばなりません!
サタンの手口
今、サタンの手口をすべて明かします。
滅びの教えは、サタンが不法の者を出現させたことによって始まりました。
サタンはこれを、未来に現れる独裁者のように教えますが、そうではありません。
これはダニエル書によって預言された「小さい角」、すなわちローマ教皇のことです。
もう、時と律法は変えられています。聖徒は彼の手に渡されています。
すなわち、ローマ教皇によって十戒の安息日は日曜礼拝にすり替えられ、多くのクリスチャンが十戒を守らない者、すなわち不法の者にされているのです。
このままだとどうなると教えられているでしょうか。
おわりに
今、世界は再臨直前の状態にあります。
霊的な大患難の中に、私たちはいるのです。
有名な神学者が言わなければ、信じないでしょうか。
大工や漁師の言うことなど、信じないでしょうか。
聞く耳のある人は、どうか今のうちに、天国へ行く人の特徴を備えてください。
間もなく主が来られ、地上に御怒りが注がれるでしょう。
それを逃れうる聖徒の特徴は何でしょうか。
律法を守ることで救われるのではありません。
律法を守れるようにしてもらうことが救いなのです。
これを受け入れないなら、私たちは滅びるしかありません。
このブログを信じる必要はありません。
どうか、聖書を信じてください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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