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例えば文句や批判、恨みとか怒り そういうものにひとが惹きつけられる理由のひとつは そこには確かに「突き動かす」エネルギーが存在しているからだ。 誰かを見返したいことや、怒りといった、ネガティブなエネルギーを原動力に 何かを成し遂げていくことは 時に激しいモチベーションとなって ひとを成功に導く。 つまり、誰かに馬鹿にされて悔しかったことをバネに せっせと勉強したり、仕事に励んだりすることは ある次元では大事で必要なことでもあるけれど、 できればそこを通り道として
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「誰かを幸せにする」 ということを、高らかに宣言することは 本来あってはならぬことでもある。
「拾う力」 「拾う力」を磨いてゆく。 何でもないように見える日常と出来事と人々のやりとりの中で、 毎日幾つもの「真理」 が目の前に現れぺこり、敬礼する。 自分のなかに小さな「気づき」が起こった後は、 「知らなかった」時の自分には 二度と戻れないようになっている。 「探す」を辞めて、耳を澄ませるようになった時、 「答え」は待ってましたと言わんばかりに降りそそぐ。 委ねる。 そしてふと、落ちてきたものに 丁寧に敬礼を返し、 拾う。 「拾い行き着く世界」
スピリチュアルなものとかリーディング、 霊感やらあれこれサイキックな能力をつかうもの。 幸せになりたい、自己啓発とか自分癒しに興味あるかたが必ずといっていいほど通る道であり、 興味深々なスポットかと思います。 サイキックな言い渡し。それは山登りに例えると、 山の全貌を指し示してくれることに似ています。 つまり高さがこのくらいで この辺に崖があり、天気はどんな感じで 道のりはこうで、ああで。 お前はこの山に登れ、と。 自分の眼の前にそびえ立つ山が、全く視界が閉ざさ