2022年、特別じゃない私の足跡
まえがき
誰しもが口をそろえて「もう今年が終わってしまう」という。大人になると子供の時より時間を早く感じるらしい。私は10月頃から1年の振り返りをするようにしていて、今日の文章もその振り返りを文章に起こすだけ。2022年は早く過ぎ去っていたようで、色々できていたみたいで誇らしくなった。
つまりこのnoteは未来の私しか得をしない内容になってしまうと思う。たまたま辿り着いた人には「20代の仕事は基本お金のためにやっているだけのよくいる会社員が1年で色々できているなら、2023年は自分もやりたいことをやってみようかな」という気持ちの後押しにしてもらいたい。
アートに関すること
2020年から作品を作るのが好きだと再び気付かされてから、仕事の後や休日にできるだけ技術をあげようともがいていた。私の記憶が正しければ、アクリル絵具を使うようになったのは2021年のことだった。新しい材料を使いこなせるようになるにはある程度の時間が必要で毎日アクリル絵具に触れる時間を作ることを心に決めていた。
アクリル絵具よりも困ったのがポリマークレイ(オーブンで焼くプラスチック粘土)だった。使い始めてはみたものの、いまだに繊細なこの材料を使いこなせていない。作りたいものは2020年から決まっているので2023年はなんとか形にできればと思っている。
材料や技術と格闘しながらも、今年はただ自分のために作る以上のことがしたかった。欲を言えば作品を作ることで生活をささえられればと思っているし、誰かに欲しがってもらえるのは率直にいって嬉しい。
作品を生活の糧にするには魅せる場所・売る場所がなければいけない。幸い今はインターネットで個人でお店を持つことができる時代だ。こだわってしまって完成には至らなかったけれど、ウェブショップを作り始めることができた。結果は振るわなかったけれど、初めてオンラインのコンテストに応募することもできた(締め切りに追われながら知恵を絞る経験のおかげで、その後の制作効率が上ったのが思いがけない副産物だった)。
販路より大切なのが、所有する価値のある魅力のある作品を作ることとだ。そして幸いにも、2022年は自分のためではなく誰かのために制作する機会を何度か持つことができた。
とくによかったのが抽象画のオーダーだった。これからもこの形でオーダーを受けるのかはわからないけれど、カウンセリングシートというものに依頼者の思想や価値観を書いてもらい、そこからのインスピレーションをもとにテーマを考えていく方法で作ることにした。他の人の心の中を作品に写し出していくことはとても魅力的で、受け取った依頼者が気に入ってくれることがこんなにも嬉しいとは知らなかった。
結果がどれほどゆっくりだろうと、少しずつ自分の作っているものは誰かの琴線に触れているのだということ。そして何かを成し得るには、今持っているものを最大限活用して小さく積み重ねていくのが最適解なのだと教えられたことで、2023年は自由で理性的に制作し続けられる気がして楽しみでしかたない。
生活に関すること
自分の言葉だと長々とした怪文を綴ってしまうため、Twitterで仲良くしている人の言葉を借りることになってしまうのだけれど、人生は以下の内容に尽きると思っている。
ここでいう「うつくしさ」は何かきまった型がある物ではなくて、人の数だけ異なっていると思っていて、私は私の生活の大部分を自分で選んだ「うつくしさ」で満たしたい人間だ。大人になって仕事が忙しくなると。自分らしい「うつくしさ」なんて曖昧なものはすぐに見失ってしまう。時間は消えていくのにそれなりにお金は入ってくるから、人が決めた「うつくしさ」に惑わされてしまうこともある。
今年は特に意識したわけではないのに、仕事(会社のお仕事)でも情熱(アート)でもない、目標のない生活の楽しみに目を向けられたようだった。
ピアノは子供の頃に習っていて、高校生以降は弾いていなかった。嫌いなわけではなかったし、むしろクラシックは常に聞いていたけれど、引くことはやめてしまっていた。2022年の1月、常に1曲は弾ける曲を持っておこうと、ふと心に決めていた。ピアノを弾ける姿は「うつくしいな」と再認識しただけだと思う。
素敵な姿に憧れて、という不純なようで純粋でもある動機は、意外と力強い気がする。花を育てるのも、洋裁教室に通い直し始めたのも(前の教室の先生が教室を閉じてしまった)、金継ぎに挑戦したのも、きっとありたい「うつくしい」自分の姿のためなのだと思う。自分の好きなものを自分の手で育めるなんて、これほど万能感と安らぎを感じれることはない。
未来の自分に恩を売ること
情熱はない、けれど大切なこと。そういうものが長い人生の先で役に立つことは往々にしてあるのだと思う。
「うつくしい」ものが好きで、「うつくしさ」を作ることが全てだと思っていても、私も現代日本を生きるただの人間であることからは逃れられない。どんなにそうありたいと望んでも、霞を食べて命をつなぐことはできないのだ。ある程度のお金は必要だし、この国や自分の未来を憂いれば、将来のためになんとかしなければと感じてしまう。積み立てNISAがどれほどのものなのかは正直20年後くらいにしかわからない。今の私の理解力と判断力で、やってみればいいと、なくなっても困らないお金を使うことにした。
お金よりも恐ろしいのは身体のことかもしれない。20代、まだ身体の不具合は感じていない。けれども形あるものは全てゆっくりと擦り切れていくもので、それをケアすることしかできない。もしかしたら私の身体のあちこちが悲鳴をあげるころには、医学が飛躍的に進歩しているのかもしれない。それでも、自分のものは自分でメンテナンスするべきな気がする。今年は歯を大切にするための習慣を増やしたけれど、来年は何にしよう?
他人に関すること
私は一人の時間が好きだ。社会でなにかしら働いている傍に、他のことに情熱を注ぎ込んでいる人には共感してもらえるはずなのだけれど、人に使う時間があったら「作りたい」「練習したい」という気持ちがまさってしまうことが多々ある。一つの絵を作るのには何時間もかかるし、平日はほとんど仕事で1日が潰れてしまう。友達のことはとても好きだけれど、やっぱり時間が惜しいと思ってしまう自分が心のどこかにいつもいる。
とはいえ、友達に会うのは楽しい。「会うまでが億劫、帰り道は会ってよかったと思いながら帰宅する」という趣旨の話をよく聞くが、まさにこれである。むしろ、友達と会うのが楽しくて、それにかまけてやりたいことをサボってしまうのが怖いのかもしれない。
矛盾した感情の間で宙ぶらりんになりながら、今年はできるだけ人に会うこと心に決めた。そしてその時間を最大限良いものにすることで、矛盾している両端の欲望に折り合いをつけることにした。写真を一緒に撮る友達、自分の会社を持っている友達、オンライン上で同じプロジェクトをする友達、そして特に身も蓋もない話をする友達。そしてお金も時間もかけないとたどり着くことのできない海の向こうの第二の故郷と家族。
自分のことは大好きだけれど、私の目を通して見る世界はどうしても狭い。人と時間を共にすると他の人の目を借りて新しいことを知ることができた。自分とのデートと他人とのデート。どちらも必要な栄養素なのだから2023年もバランス良く取り込みたい。
おわりに
12/31になると、1年は以上な力の強さで圧縮されてしまったように1秒の中に閉じ込められてしまった感覚になる。できたことよりも出来なかったことに目が向いてしまったり、反省だらけになってしまったり。
それでも振り返ってみれば、たくさんのことがあったし、たくさんのことに挑戦できていたと胸を張っていえる。2022年の凡人の私ができたことは、2023年の私やあなたにもできるはず。
寝て起きて、何かがドラマチックに変わるわけもないけれど、朝日とともによりよい一年にしますと、私は私に誓おうと思う。
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