【無料】労働組合はみんなクソ左翼だと思ってる人達へ ~日本の歴史編~
この記事は
労働組合については以前一度書きました。文字数の都合で書けなかった部分を記します。一部重複しますけど、ご容赦ください。
日本は社会主義国となる一歩手前だった
労働組合は革命の前線基地。今じゃちょっと考えられませんよね。でも終戦直後の労組組織率は50%超。労働者の半数以上が組合に参加していました。
彼らの大半は戦争経験者。銃をゲバ棒に持ち替えて革命を目指す者が多く現れます。
労働組合の支持を受ける日本社会党は躍進し、1947年、政権を奪取しました。
社会党委員長・片山哲は総理大臣となり、社会主義的な政策を進めます。
しかし野党の自由党のみならず、連立政権を組んでいた民主党からも反発され1年も持たず瓦解。片山は総選挙で落選し表舞台から姿を消します。
さらに数年後、社会党の英傑〝浅沼稲次郎〟が17歳の少年に暗殺されたことで、日本は社会主義化への千載一遇の〝チャンス〟を逃しました。
今じゃ考えられませんけど、結構ギリギリだったんですよ、日本。ソ連の一部になるところだった。
片山が自由党の吉田茂らを説得できていたなら、日本民主党の鳩山一郎が裏切らなかったら、浅沼が暗殺されなかったら。今ごろ日本はどうなっていたか分かりません。
終戦直後の労働組合
産別とは? ナショナルセンターとは?
日本の労働組合は、革命を目指す共産主義者を中心に結成されていきました。物騒なれど、傲慢な経営者を締め上げ、製造業の労働条件改善に寄与したのは事実です。
組合の力とは人数、すなわち組織率(加盟率)の高さ。数人で交渉しても首を切られて終わりですけど、全従業員加盟となれば経営者も話を聞きます。
さらに同業他社の組合と組めば、経営者は対等のテーブルに着くしかありません。
この「同業他社との連合」を〝産業別組合(産別・単産)〟といいます。
さらに発言力を高めるべく、今度は他業種の産別・単産同士で集まった労組連合を〝全国中央組織(ナショナルセンター)〟と呼びます。
終戦直後GHQは、労働者の地位を向上させるべく労組の結成を後押ししました。ナショナルセンターとなったのは共産党系の〝産別会議〟と、社会党系の〝総同盟〟です。
産別会議と総同盟は鋭く対立。一度はくっついてみたものの、すぐに分裂します。総同盟は「反共産」となっていきました。
そんな中、朝鮮戦争が始まります。GHQは日本の赤化(共産主義化)を防ぐべく、公務員や大企業から共産主義者を排除(レッドパージ)。1万人以上が解雇され、共産系の産別会議は大打撃を受けます。
進退窮まった産別会議は1950年、自分達より会員数の少ない総同盟へ合併を持ちかけ、日本労働組合総評議会(総評)となりました。日本最大のナショナルセンター、かつ政治に対する最大の圧力団体が結成されたのです。
純血の共産主義者はこれに不同意。総評へ合流せず、独自路線を歩みます。同じく、総同盟の右派も不同意。これまた独自路線を歩みました。
左派系労組・総評の時代
日本最大のナショナルセンターとなった総評は日本社会党を支持。衆院選では150人を超える議員を当選させました。おなじみ〝日教組〟や、最強労組の呼び声も高い公務員系の〝自治労〟も総評です。
当時の日本社会党は右派と左派で分裂しており、総評は、マルクス・レーニン主義を標榜する「社会党左派」への支持を明確にしました。
1955年。バラバラだった保守勢力は合同し、自由民主党を結成。革新勢力も再統一し、日本社会党となりました。
ただ、総評は結成した1950年当初から、猛烈な内部対立を繰り広げました。左派系の幹部は革命を目指す共産主義者だらけになっていくし、ストライキを中心とした暴力的な労働運動へ傾倒するし・・・・・・。
左傾化に耐えられない右派系組合は総評を抜けることにしました。
右派系労組・同盟の誕生
総評と喧嘩別れした右派系労組は〝全労会議〟を結成します。ここに、そもそも総評への合流を拒否していた〝総同盟〟の残党が合流して、全日本労働総同盟(同盟)を結成しました。
彼らの主張はこう。
ネトウヨかな?
同盟は民社党(民主党じゃないよ)を支持。民社党は国防面で自民党より右派的な主張を展開します。
彼らは共産主義を否定し、すなわち総評を。ここに、日本独自の右派系ナショナルセンターが誕生しました。
経営者と友好関係を築く労使協調路線は、経営者が悪党だと成立しないんだよね。日本の場合、大企業の創業者は従業員を大切にしたため、労使協調も可能だった。
また、労働運動の熱源である「搾取される労働者の怒り」は、高度経済成長で薄まっていました。革命を目指す共産党系の労連も、ストライキばかりな社会党系の総評も、国民から見放され、同盟に風が吹きます。
日本最大のナショナルセンター〝連合〟誕生
行き過ぎた左傾化で支持を失った総評は、かつて自分達を見限った同盟に助けを求めます。
紆余曲折を経て1989年11月。総評と同盟左右の両ナショナルセンターに加え、78産別・総組合員数800万人を結集し、日本労働組合総連合会(連合)が誕生しました。
初代会長は山岸章。行商人の息子として生まれ、機雷除去で食いつないだ苦労人です。上京後は労働運動に身を投じ、共産主義者と戦い抜きました。
連合の初代会長に任命された後は、数の力で政界へ圧力を加えます。
彼の功績としてあげられるのは、第一にナショナルセンターを統一したこと。
第二に、自民党を分裂へ追い込み、細川連立内閣を実現させたことでしょう。
山岸は選挙時、支援候補の徹底的な絞り込みを行いました。連立の邪魔になりそうな社会党左派(頑迷な社会主義者)は、連合の支援先から排除します。
そんな山岸ですから、連合トップへ就任する際は一悶着ありました。
「総評は右派に取り込まれた!」と考える総評左派がブチ切れたんです。
連合へ加わらず、ナショナルセンター〝全労協〟を設立し、社民党を支援することにしました。
また、共産党系も集まり、ナショナルセンター〝全労連〟を結成します。
労働組合はどの政党を支持してるの?
昔
今
こんな感じです。
パチンコホールの労組はどの党を支持?
連合を構成する産別と、支持政党は以下の通り。
これ、めっちゃ分かりやすいですね。
パチンコ業界は自民党の木村義雄や尾立源幸を支援しましたが、ダイナムやマルハン、ヒノマルやニラク等の〝労組〟はUAゼンセンに加盟しており、国民民主党の候補を支援しました。
国民民主党とパチンコ
各党首の中で国民民主党の玉木雄一郎だけが「減税・積極財政・名目賃金上昇」の正しい経済政策パッケージを示しています。これは庶民の可処分所得を上げる政策であり、パチンコに追い風となる。
しかも、ゼンセンの組織内議員は・・・
この二人なんですけど、
川合議員は、落選中にパチプロやってたんだってさ。普通に牙狼とか打ってたらしいのよ。
でもって、
田村議員は娘さんがパチンコホールで働いてるらしい。
参院選では業界団体関係者から木村義雄を応援してくれと言われたので応援したものの、あの爺さん、パチンコのこと何も知らないじゃん。
木村義雄に三店方式を説明するのは大変だけど、この二人には説明不要。「景品交換所が・・・」というだけで全て伝わる。
かつて玉木雄一郎代表は「パチンコで主婦が自殺してる」「北朝鮮へ何十兆円も送金してる」と考えていましたが、川合議員らの働きかけで誤解は解けた。
もちろんゼンセンだって労働組合ですから、ガチの労働問題では左派系と一緒にデモをすることもあります。
フリーランスの僕に労働組合なんて何の縁もないんですけど、パチンコ好きな議員のいる政党を推したいなと思うんですよ。
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