「自画像や質問」「これを説く、解読が面倒」「物語の計画性で怠けてなんぼ」
「もういいかい」
「まあだだよ」
「もういいよ」
重ねすぎた、「思い出」。
あなたよ、
重荷を卸していき共有する意味は、
ほんとうにあるのかいな?
始めのフットワークは軽い。
基礎が実を成しはじめ、
重ねた記憶・思い出となり、
重量がある「揺れにくい軸」
これを作り出す。
すべて崩すのは、まったく。
よろしくないよ。
あと、説明文を書くって、
「自画像を説明する」
それっていらなくね?
誰かの描いた自画像で笑いたくない。
だからそれを否定したくて、
「自分で描いた」自画像を
夢見てるのかなあ。
千年蛇という方言があってね。
あるきこりが山へ行こうとすると、
大きな蛇が、たいそう大きな蛇が、
天に上がろうとしているところに
出くわした。すると、その人は
この蛇を見て、驚いて逃げようとした。
「ちょっと待ちなさい、
あなたは私が上がろうと
しているのを見たな。」と蛇は呼び止めた。
その蛇というものは、
九十九年地上に住んでおれば、
百年目には天に上がることができた、
という話である。昔はね。
しかし、九十九年間、
地上で人の目にもふれずに暮らしてこそ、
天に上がることができるのであった。
それにもかかわらず、その蛇は、
人間に見られてしまった。
もう天に上がることはできない、
と降りてきてその人に言った。
「あなたは私が上がろうとしているのを
見てしまったね。あなたがそのことを
人に言わなければ、あなたに徳をつけて
金持ちにしてやるから、どんなことが
あっても一言も人には話してくれるな。」
と頼むと「そうしよう。」と合点したので、
何も言わずに蛇は天に上がっていった。
それからその人は大変裕福になった。
蛇は神様だったのでね。
しばらくして、
「もう今頃からは話ししても
どうもないだろう。」と、
人に一言しゃべろうとしたら、
たちまち何もかも失って、
貧乏になったという話である。
山から歩くときに、あるおじいさんが、
こっちから大きい、白い蛇がね、
大きな木の上から天に昇ろうと
していたって。だからそのおじいさんは、
「変なものを見たねえ。」と思うてよ。
その、また、蛇はこのおじいさんに
見られたから降りてきたって。
もう上がられんで。百年、地面に
生きていたら天に昇られるって、
蛇は神様になって、そういう言い伝えが
ありますよ。だから、その蛇も昇ろうと
したから、そのおじいさんに見られたから
降りてきたって。降りてきてね、
「もうあなたひとりが見なかったら、
わたしは天に行かれたのに、天に行って
神様になりよったがね。もうあなたに
見られたから、もう昇ることはできない
からね、あなたが誰にでもひと言でも
しゃべらなければ、わたしは昇って行く
ことができるから、それを誰にも
しゃべらないでくれないか、
その代わりに、あんたにうんと
金持ちにして、あんたの欲しい物は
何でもね上げるから。」と言うたって。
だから、そのおじいさんは、
「そうしますよ。誰にも言いませんよ。」
と言ったから、「そしたら、あんたになあ、
上等の臼をやるから。臼ね、
〈豆腐ひく臼があるでしょう。
昔は、豆腐ひく。〉あれをやるからね、
あれにあんたが欲しいものは何でも出るから、
あんたが出なさいと言ったら、
ひきながら出るから、それをあげるか。」
と言うたがら、その蛇が。
「そんならお願いします。」と言って、
その臼をもらったわけさ。そしてからに、
もうお金持ちになったから、
人に言うたわけさ。だからまた、
こっちは貧乏内通して、もう、
ずっと貧乏になるわけさ。もらった臼は、
自分は今はもう塩が欲しいからね。
「塩出して下さい。」と言ったからよ、
塩はどんどんどん出てからにね、
もう止めることはできないでね、
そのまま「海の水」は、潮(うす)になった、
という話ですよ。塩になったという話ですよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?