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生き汚くても生きる 遠藤周作「沈黙」

狐狸庵先生、遠藤周作というとコーヒーのネスカフェのCMだった。
実際、狐狸庵先生シリーズは人気で宝塚ごっこをしたりするおじさんというイメージだった。
関西出身の作家たちはみんな仲良く、多分、同人誌的なのりがあったのだろう、田辺聖子と司馬遼太郎と藤本義一と言ったジャンルが違う人たちの交流を楽しませていただいたりした。
しかし、田辺聖子が亡くなったとき芥川賞前後の小説を読んで唖然とした。
こんなにも暗くて怨念を抱いていたのか。若い日の日記は明るいので、戦争の後遺症で心が歪んでいたのだろうと感じた。
その後、社会学者の岸政彦が影響を受けたという小松左京の実体験をもとにした若き日の短編を読んだときも、その悲惨な体験にぞっとした。
たぶん、彼らは多感な十代後半に関西の戦災と戦後を体験しこの世の地獄を知ったのだ。


2018年に訪ねた長崎にある記念館
原民喜の展示もあったはずなんだけど

遠藤周作もそのひとりだ。
原民喜を知って、彼が遠藤の後ろ暗い性格をえらく心配していたことを知った。仁義なき戦いの世代。そういった闇に引っ張られた人も多かったのだと思う。

かつて朝日新聞で読んだ村上春樹の文壇への決別への思いを描いたエッセイを思い出した。確か、文壇は陽気な先輩たちと同じバスに乗った青年が居眠りしているときに、彼らの陰口を聞いてしまったという体験みたいだという話だったと思う。
彼は遠藤周作と同じ神戸の出身だ。彼の顔が思い浮かんだ。私はずいぶんと遠藤周作を読んでいたので心がしくしくした。

そして、ああ、沈黙のキチジローは遠藤周作の等身大の人物なんだと思った
「沈黙」は遠藤周作の代表作だ。主人公の若き宣教師は清廉潔白なインテリで布教に燃える人だった。
実際、彼らの故郷であるスペインやポルトガルをめぐった、星野博美の紀行みんな彗星を見ていたによると、彼らが地元で尊敬される若者だったことが先祖の言い伝えにあるそうだ。

大概の人は殉教したが、めぐり合わせの悪い人たちは転びという背教者に成り果てた。それを促すユダ的な架空の人物がキチジローだ。
生きるためにキリシタンである自分の家族を見捨て処刑からのがれて、海外に逃げそこで出会った主人公を日本に連れていくが持て余し密告して金を得る人物だ。それなのに信仰を捨てた主人公につきまとい許しを請う。
自分が楽になるために手段を選ばない人物だ。
日本的なコミュニテイと西洋の潔癖との相克もテーマだと言われてもいる。

沈黙の舞台のひとつとされる出津の集落

しかし、生きぬくということはなんなんだろう。
遠藤周作は亡くなった人たちの分まで生きねばならぬと強く思ったのだろう。そして、前世代の人々の間違いを考えていく、それを託されたんだと思ったと思う。
彼は自分を救うために沈黙を書き、明るい空元気で陽気な人生を演じた。
同じ世代の関西の作家たちに共通するなって思った。みんな社交的だった。
そこにある闇には今まで思い至らなかった。
それでも人は愛を持って生き抜かねばならぬ。


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