夜店の思い出
大阪に住んでた子供のころ、月になんどかある夜店の日の夕方に自転車をひきずった男が現れた。
彼は「夜店でっせ。いきまひょか~」と町内を歌うように移動していった。
遠くからしか見たことがない。
どんな人か怖いように思うけれど、ワクワクした。
障害のある人なんだって言う誰かの報告もあったように思う。
夜店好きで誰かに頼まれていたんだとも聞く
それからしばらくして夜が深まると商店街の出口付近の通りに夜店が並ぶ。
特にワクワクしたのは地べたに怪しげなものを並べた輪投げの屋台だ。
弟がちいさなブリキの鍵付きの金庫を取って、いたく羨ましかった。
パチンコが当たると芋コロッケがもらえる屋台や決して買ってもらえなかった赤く毒々しく染められたりんご飴もあった。
そのうちお小遣いを貰えるようになったけど、一番売れているカステラ焼きというのがやっとだったように思う。
町では夜店でなくとも、かなり怪しいものを売っていた。
昼にはいたむ、ラップに包まれただけのサンドィッチなどがあった。
そういう時代ではあったのだ。
それは貧しさなんだと思う。しかし、かなりいい加減な人ものんきに陽気に生きていたように思う。
昔の夏はクーラーが無く、人々が縁台を出して世間話をして気を紛らわしていた。子供同士でゴムとびをした。人の気配が街中にあふれていた。
そして、人々がいろんな生き方をしていたのが見えた。
女性同士、たまに男性同士で暮らす人もいたように思う。貧乏で稼ぎが少ないからっと、私は思っていたけど、どうだったんだろうか。
今思うといろんな理由があったと思う。
貧しさが多様性を許していたので決していいことだけではなかった思う。
やくざと夜店のテキヤが町の場末の飲み屋街で発砲事件を起こしたりして、夜店はだんだんと廃れていった。あの場所は何ヶ月かに一度は暴力事件が起こっていたように思う。
都市の場末の町のゆるさがあったのかもしれない。それはモラルのゆるさとひょとしたら悪を秘めていたのかもしれない。
あの時代が良かったとは決して思わない。でも、むき出しの人間はいたんだろう。