恋愛と反社会「たそがれたかこ」
最終巻を読まなかった入江喜和のマンガたそがれたかこを読んでいる。
この漫画は離婚した主人公のたかこが中年期の自分に悩みながら、離婚した夫が引き取った娘の不登校に悩みながら生きていく話だ。
ネタバレになるが、彼女は同じアパートに住む少年が同じラジオを聞いていて、同じバンドに引かれていると知る。
そのうち、その14歳の少年に恋愛感情を持っていく。
ここで大抵の人は抵抗感を持つ。
しかし、最終巻を読んでみて納得があった。
そして、何故かジャニーズファンを思い出した。
私はジャニーズファンの女性たちにSMAPの人たちが40ぐらいになった頃から、すごく嫌悪感を感じるようになった。
彼女らはいつまでSMAPに若者のフリをさせたいんだろう。
痛々しいんだが。何かに思いを仮託しないと生きていけないとやっていけないのは解る。
私も似たようなもんだが。でも、時間は止まらないんだが。
でも、生身の人間なんだが。
この漫画はそのことに肉薄しているのがわかる。
最終巻に娘を受け入れてくれた学校でたかこと娘は「更級日記」の模擬授業を受ける。
なんで、「更級日記」かと思うが、あの自伝的エッセイは平安末の貴族社会の硬直化を背景にしてるんかなって思う。
后(きさき)の位も何にかはせむ
源氏に夢中になる少女はつぶやいているけれど、これは彼女が后なんかになれっことないことを示してる。特別な家で特別な教育を経てやっとなれるもんなんである。
六波羅蜜寺で平家が清盛の娘に男の子を生んでもらいたと祈願した法具を見たことあるけど、彼らの手跡が無数についていて怖かった。そうまでしないと豊かな世界で生き残れんのである。
ドロップアウトやずるする人、退廃する人がいっぱい出てくるのはしょうがないかなと思う。
では、どう生きるか。わからない。