感じることの重さ軽さ
山本周五郎の戦前の千葉県浦安の生活をえがいた「青べか物語」に貧しい女給にだまされるインテリ青年が出てくる。
原民喜も同じようなことをした。不幸な女性を助けることで自分を助けると錯覚した。そのことは恥ずかしくて一生黙っていたそうだ。小林多喜二も、似たようなことをしたらしいし、あの頃の青年のひとつの行動パターンなんだろうと思う。
それぐらい、立身出世する青年の幅は狭まっていて非人間的だったのだろう。そして、落ちてしまうと社会の扱いのみじめさに泣けたんだろう。
その後、小林多喜二は「蟹工船」で悲惨を描き文名をのこし、拷問で死ぬ。文学をするしかできないふたりは献身的な明るい妻をめとる。
文学する人にあこがれを持つ時代だからありえたことなんだろうか。
でも、山本周五郎と原民喜は日本が戦争に追いやられたころ、妻を死神にささげてしまった。戦争が始まるころ、こうした弱い人々がたくさん亡くなった。こういった文学する人はありふれていた。死なずに戦後、文名を残した彼らは幸運だったと思う。
「水ヲ下サイ」って詩をご存じの方は結構いると思う。あれが原民喜の詩だ。人々の手あかにまみれているように感じた。改めて捉えなおしたのは、梯久美子の「原民喜 愛と死と孤独の肖像」を読んだからだ。
原爆直後を描いた小説「夏の花」をはじめとした一連の短編もいいのだけど、詩も良い。
義弟であった人が遠慮なく言っていたけど、彼の作品は物足りない、死んだ文学だったけれど、原爆で命をやどしたと。新潮文庫の作品集の編者である大江健三郎も同感であるらしい。残酷だと思うけど、作品とは、そういったものでしょう。
そんな彼の詩で好きなもの。
永遠のみどり
ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ
死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ
とはのみどりを
とはのみどりを
ヒロシマのデルタに
青葉したたれ
原爆小景
原民喜
この詩は戦後出会った、結婚したころの妻と同じ年の女性と、新進作家であった遠藤周作との交流を描いた最終作と同じ題名だ。
万葉集の長歌に対する短歌みたいな感じの詩だと思っている。広島の復興を祈りつつ、秘められた恋と若者への思いが組み込まれている。
その後、彼はJR中央線に飛び込んで自殺する。原爆でこの世の地獄を見たことか。妻を自分の人生の犠牲にしたことか。書けないと思ったか。貧困を生きることに疲れたのか。
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