第19話 近しい悪意2

「こんなところで、また男を侍らせていたのね!ファウンティール侯爵令嬢のすることではないわ!」
姉の怒りはすでに沸点を超えていて、歩み寄ってくる態度を見れば、不満まみれだ。
「これはトゥリア様、ご機嫌麗しゅう。」
クリスが姉に挨拶をするも、それも気に食わなかった姉が鼻を鳴らした。
「貴方達に用はないわ、おどきなさい。」
「そうですか。それじゃ、行こうか。リア。」
流れるように私の手を取って立ち去ろうとするクリスに、姉が手に持った扇子でパンと音を立てて制した。
「"借金侯爵"のご子息は無能かしら?私はカメリアに用事があるの!」
朝と同じように双子を侮辱する物言いで、私はたまらず姉を睨んで返した。
「お姉様、今朝のことをもうお忘れですか?同じ侯爵家に対して―――。」
「お黙りなさい!この魔力バカ!」
最早取り繕う気もない姉の直球の罵声に、私は頭をおさえる。双子ですら姉への態度が冷ややかだ。姉は立ち振る舞いこそ優雅だが、怒りで歪んだ顔は全て台無しだ。
「"ならず者"の叔父の所で修業中のあなたのために、テーブルマナーを確認して差しあげようと、わざわざ食堂で待っていたというのに、何故来ないのかしら?!」
姉は食堂の混雑を避けたい、と自身の寮にわざわざ屋敷仕えのシェフを呼んでは昼食を作らせている、と父から聞いていたのだが、まさかそこまでして、私への嫌がらせがしたいとは思わなかった。
「はぁ、ご親切にありがとうございます。」
上辺のお礼を言うも、姉は結局、私だけでなく叔父に対しても最悪な印象を持っていることを再認識した。やはり姉は"宝石侯爵"を継げなかったからか、"宝石侯爵"に関わる事柄への強い敵意があるようだ。現に工房の前を通る道は絶対に通らないように、と屋敷の御者が姉にきつく言われていたのを覚えている。
「全く、いい加減に自分の立場を理解しなさい!不出来なあなたの為にこうしてわざわざ私が出向いているのに、いつまでその無能な"借金侯爵"の子供の後ろで、ひきこもっているつもりかしら!?」
そう言われて私は慌てて前に出ようとしたが、双子が後ろ手に私が動くのを制した。
「トゥリア様。今朝も申し上げましたが、その呼び名は父への侮辱です。そのような行動は、ファウンティール侯爵家の品格が疑われてしまいます。」
クリスが怒りを滲ませながら、努めて冷静に姉へ語るも、姉は扇子で口元を抑えつつ、双子を見下すように話し始める。
「私は由緒正しき誇りあるファウンティール侯爵家の一員として、妹に礼節を正しているのです。他人であるあなた方が口を挟まないでくれます?」
「それを今、この場で正す必要はないと思います。」
クレオが毅然とした態度で言い返すも、姉には全く響いていない。
「それは常日頃、注意をしているのを聞かないカメリアが悪いのですわ。あなた方も含めて他家に迷惑をかけないように、しっかり監督す――。」
「お嬢様!」
突然レベッカが声を上げたが、視線はこちらではなく、別の方を向いていた。
「何よ、レベッカ。今、私は話を――。」
そう言いかけた直後、レベッカが見ていた方向から姉に飛びつく何かを見えた。
「きゃあっ!何よ!?」
突然のことで慌てふためいた姉の行動が災いしたのか、ビリリ!と響く布を裂く音が響いた。飛びついたのは先程の黒猫で、姉の制服のスカートに張り付いたのだ。
「なんてことを!お離しなさい!このっ!!」
姉が叫びながら黒猫を払い、飛び降りて離れたその瞬間。まるで笑いの観劇のように姉の制服のスカートがストンと地面に落ちた。
「いっ、いやああ!!」
叫び声をあげて地面に落ちた制服のスカートを掴んでうずくまった姉に、レベッカが咄嗟にエプロンを脱いで慌てて姉の腰に巻き付けたが、前掛けタイプのエプロンでは姉の身体は覆いきれず、背後のレベッカがつくことでようやく隠せる状態になった。幸いなのはこの場には私達だけで、姉の下着を見えたのは私と双子だけで、双子はスカートが落ちる瞬間から申し訳なさそうに顔を赤らめながら視線をそらしていた。
「お嬢様、こちらへ。」
レベッカが姉を支えて、一緒に中庭から去っていった。嵐のような展開に私達が呆然と見送ると、ふふっと笑い声が耳に入った。その声の主を探すと、チリリンと鈴の音が聞こえた。
「よくやったわ、エイル!うふふ、本当に傑作だったわ!」
黒猫を撫でながら、園舎の陰からチェルシーが現れた。
「その子、あなたの飼い猫でしたの?」
「ええ。注意が遅すぎて間に合わなかったですわね、ごめんなさい。」
チェルシーの言葉で、黒猫が運んでくれたメモの文字の主がであることを察する。
「いいえ、ありがとう。助かったわ。」
「私も彼女にはチクチク言われて本当に嫌でしたから、今までのお返しですわ。」
仕返しの成功を喜ぶチェルシーに、同じように私も笑って返した。
「リア、彼女は?」
クリスが私の方を向いて尋ねてきたので、私は双子にチェルシーを紹介をする。
「クラスメイトのチェルシー・ブラン・アルジェリアよ。以前からお母様を通じて、仲良くさせてもらっていたの。」
「アルジェリア?あぁ、"染物伯爵"の令嬢とは知らずに失礼しました。私はクリスフォード・リアナイトと申します。」
「同じくクレオリッド・リアナイトです。」
双子が自己紹介後に揃って一礼するのを見て、チェルシーはまぁと嬉しそうに呟く。
「そうだったのですね。うちの"能天気親父"がご迷惑おかけしてませんか?」
チェルシーからとんでもない発言が飛び出して、双子だけでなく私まで固まる。
「あ、いや。そんな、こちらこそ、ご迷惑をおかけしてないかと。」
まさかの言葉に動揺するクリスにチェルシーは冗談ですわ、とにこやかに返した。
「カメリアの双子の"騎士"様にお会いできて嬉しいわ。今後ともよろしくお願いしますわ。」
と双子を見回してからチェルシーは、私に向かってウィンクをしてみせた。
「ええ、こちらこそ何かあれば、教えてくださると助かります。」
クリスが穏やかな笑みを見てると、チェルシーだけでなく私まで惚けてしまう。
「じゃあ、食後の散歩に行ってきますわ。また教室でね、カメリア。」
「ええ、また後で。」
飼い猫のエイルを抱いたまま、片手を振って優雅にチェルシーは立ち去っていった。
「彼女が、あのアルジェリア伯爵の令嬢だったとは。」
「"緑の魔女"さん、だよね?」
クレオから聞き慣れない言葉を聞いて、私は気になって尋ねる。
「"緑の魔女"?」
「あ、噂で薬草に精通していて、薬や香料を独自で手掛けてるから、"緑の魔女"って言われてるんだよ。」
クレオの言葉に、大釜に薬草を煮詰めるチェルシーの姿を思い浮かべて、たまらず笑ってしまった。
「確かに、似合っているわね。」
「リアがそれ言ったらダメじゃない?」
「そうね、"魔女"なんかじゃないわ。チェルシーは麗しの令嬢ですもの。」
そう笑ってチェルシーの去った方を見て、視界に入った時計塔の時間に声を上げる。
「あっ、午後は武技の時間でしたわ。急いで着替えないといけませんわ。」
「「武技!?」」
私の言葉にすっとんきょんな声をあげる双子。
「リ、リア?武技の授業なんて、取ったの?」
クレオが真っ青になった顔のまま、震える声で続ける。
「え?変かしら?」
「知らないようだが、君が受ける授業じゃない。今からでも辞退した方がいい。」
クリスまでもが心配そうに私を見ている。
「あぁ、大丈夫ですわ。叔父様から"護身術"は習っていたの。運動を兼ねて受けてみよ―――。」
「クレオ、次の授業はなんだ?」
私の言葉を遮るように、クリスがクレオに話しかける。
「次は何もないよ。兄さんは?」
「ああ、僕もない。」
「あの、どうなさるおつもりです?」
悪い予感を感じた私は双子に注意をするも、
「勿論。リアが無事に武技の授業を終えるまでは、"見学"するだけだ。」
と最早、聞く耳を持っていなかった。

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