【小説】「檜風呂と新しい部屋」07
ちゃぽーん(水滴の落ちる音)
夏巳は木製の広い浴槽の湯につかりながら、邸宅へ来るまでのいろんな出来事を思い返していた。
母の運転する車に長時間乗って、山寺に向かう途中。トンネルの中で急に具合が悪くなったこと。
ゲロ吐いたこと。
駄菓子店のお婆さんのこと。
今朝見た嫌な夢のこと。
車の中から見た外の通り過ぎてく夏の風景と田舎道のこと。
その田舎道には、人っ子ひとりも歩いていなかったことを──
窓の外をずっと見てたけど。同じ年くらいの子供を一人も見かけなかったな。これからこの田舎で暮らすのかぁ……オレどうなっちゃうだろう?
学校には行かなくてもいいって、母さん言ってたけど。勉強とかさ……いや 別に全然やりたくはないんだけど。
「……ここで友達とか出来るのかなぁ?」
浴槽の湯に浮かばせた手の平サイズのアヒル人形を指で軽く突き、小さな溜め息をつくと、浴室のすりガラスから人影が近づいて来るのが見えた。
──ん?母さん?
夏夜子は洗面脱衣室にひょっこりと顔を出して、浴室にいる夏巳に声をかけた。
「夏巳ー? そろそろお風呂から上がってきなさーい」
「えぇっ。もう!?」
「あんまり長く入っていると、ふやけちゃうわよー。もう晩ご飯も出来たから早く出なさーい」夏巳にそう言って夏夜子は洗面脱衣室をスタスタと出ていった。
「でもオレ……もうちょっとだけ! もうちょっと入ってるよ!」夏巳は慌てて、夏夜子にそう言うとバシャっと肩まで浴槽の湯につかった。
初めて入った檜風呂はあまりにも気持ち良くて、夏巳はとても気に入ったのだ。
「あぁ……そうだぁ。風呂っちゅうもんにはゆっくり浸かるもんだぜぇ? なぁ 夏巳〜」
「……え?」この地獄ボイスは…… (白目)
夏巳の祖父、善宗の声だ。善宗は浴室のスライドドアをガラガラ……スパーンッ!と乱暴に引き開けて。素っ裸で浴室内にズカズカと入って来た。
「うわあっ!? お爺ちゃん……なんで、なんで入ってくんのっ!?」夏巳はあまりにも驚きすぎて、思わずバシャっと浴槽から立ち上がった。
「そりゃぁ〜やっぱ可愛い孫と仲良くなるには裸の付き合いが一番だろうと思ってよぉ」
──マジかよ……爺ちゃん……
「おいおい。夏巳〜湯の中に入る前にちゃんとちんちん洗ったのかぁ〜?ハッハハハ」
「あ……あ、洗ったよっ 」夏巳は浴槽の中で後ろに一歩下がり、大事なトコを手で隠すように自分の体を湯の中に沈めた。
善宗は上機嫌で鼻歌を歌い。風呂椅子に腰掛け、椅子の側に置いてあった湯桶を片手に取り。浴槽の湯を汲んでバシャバシャと自分の体にかけてから、石鹸で全身を万遍なく洗いはじめた。
近くで見る。善宗の素っ裸はあまりにも迫力がありすぎて夏巳は恐怖におののく。
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「あーあ……」
風呂から上がり、夏巳はパジャマ姿で髪を乾かすためのタオルを首にかけ、長い廊下をとぼとぼと歩きながら夏夜子を探した。
あっちこっち探してやっと夏夜子がいる部屋を見つけると、半開きになっていた襖を開けて、そっと中へ入り。畳に敷かれた、ふかふかの敷き布団の上に大袈裟に倒れ込んだ。
「なーに? 夏巳 あんな、ぬるいお湯でのぼせちゃったの?」
「違うよ……爺ちゃんのせい! いきなり風呂に入って来てさぁ〜」
「 うふふ。お父さんったら、きっと夏巳と早く仲良くなりたいのねぇ 」夏夜子は掛け布団に真っ白な布団カバー付けて、ファスナーを閉じながら夏巳を見てニッコリと笑った。
「早く仲良くなりたいならさ……尚更やめて!爺ちゃんにもっと普通にしてって言ってよ!」夏巳は不満気な顔で、敷き布団の上に寝転がりながら夏夜子に訴えかけた。
「もう夏巳ったら、それは自分の口でお爺ちゃんに直接言いなさい。お母さんそんなことお父さんに言えませんっ!……これからお世話になるんだからね!」
むぅっ。それが自分で出来れば苦労はないよ。オレが爺ちゃんに殺されたらどうすんだよ!?
「夏巳? お布団の上でゴロゴロしてないで早く晩ご飯食べにきなさい、お爺ちゃんも待ってるんだからね〜」
夏夜子は夏巳がこの部屋でいつでも寝れるように、支度を終えると、善宗の居るリビングへと戻って行った。
「はぁー……」
布団だけが敷かれた何も無い部屋にポツンと残された夏巳。
これからこのイグサの匂いがする六畳の和室が、自分の新しい部屋になるようだ。
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