育てるということ
人を育てるということ。
すごくすごくすごく難しい。
子供を育てる、部下を育てる、弟子を育てる、心を育てる、生き物を育てる、、
人によってそれぞれ違う。
わたしにとっては子どもを育てることだ。
子どもは大好きだ。もちろん自分の子供なんて、わたしの命に替えても守りたい。できれば傷つかないように、大切に大切に大切にしたい。病気になれば、わたしの使い古した臓器でもあげたいし、できることならなんでもやりたい
私なりの親心だ。
しかし、育てるということにフォーカスすると、守るばっかりではダメだし、痛い思いをして、ダメなことを知り、心も痛い思いをして、思いやりが持てるようになると思う。いくら口で言ったところで、実際に経験しないとわからないことなんて山ほどある。そして初めて、されて嫌なことはしないようにしよう、と自覚できると思う。
親心としては傷ついているのを見るのは辛いが、それも生きるためだ。と、どこかで線引きをしなければいけないこともある。
しかし、わたし自信が未熟でまだまだ未完成。生きる意味も、命をいただいた意味もわかっていないのに子供を育てていいものか。。と思う時がある。きっと、わたしを選んで生まれてきてくれたから、そんなこと考えたらバチが当たるけど、時々、ふと、わたしでいいのかな。と。
相変わらず根暗な性格で自分に自信なんか持てない曲者で自分が嫌になるが、子供にはそんなことこれっぽっちも見せない。
お母さんはすごいんだぞ!何でも知ってるし何でもできるんだぞ!強いんだぞ!
ってところだけ見せてる。ぐじぐじしてるお母さん、頼れないでしょ?。だからわたしは子どもの前では強くいるんだ。
強い、弱い、勝ち、負け、も教えるべきこと。
強いと言っても、他人に強いわけじゃない。自分に強いんだ。自分に負けない。
勝ち負けも、勝つことは良いことだけど、勝つだけが全てじゃない。負けて初めてわかることもあるし、頑張って頑張って負けたなら、よし!次!って、また頑張る意欲にもなるかもしれない。って。
わたしの考えが全てじゃないし、そんなの甘いよ。勝つことに拘れよ!って言われるかもしれない。けどそこは弱くて良いところだから。
心が弱いくせに負けず嫌いなわたし。人と同じことをするのが嫌なわたし。受験勉強も、みんなが行ってる塾に行くのが絶対嫌で、必死で自分で勉強したりした。
このことはまた後日まとめよう。相変わらず性格が歪んでいる。。
躾も大事。教えてあげなきゃわからない。でもわたしを見て育つ。子どもは親の背中を見て育つというけどほんとだ。
自分ができていないことは子供もできないのだ。
怒れない。わたしもできないから。
そうやって、子供を育てているようで、自分も育ててもらっているんだ、と思う。
子どもも子どもなりに解釈して行動して、時には母のダメなところを指摘してくれる。
ムカッってするけどごもっともなことが多い。
未熟な人間が子どもを育てると、子どもは立派になるのかな?
ごめんね。
でも、わたしは子どもと一緒にこれからも育っていきたいと思う。わたしはわたしで、まだ終わりじゃないしまだ成長してもいいと思う。歳だって取るし。だんだん卑屈になっていくかもしれないけど、子どもと一緒に、もっと素敵な心を育てていきたい。真っ白じゃなくても良い。少しグレーがかかったくらいがちょうどいい。それでも綺麗な景色を見て、綺麗だなぁ。って言葉が自然と出るような人に育ってほしいし、わたしも今以上にそうなりたい。
人を育てることに正解なんてないし、育児本を見たってわけわからん!なんだこれ?っていうのがいっぱいあったけど。
子どもと一緒に成長しながら、育っていけばいいんだ。
と。未熟な母親で、無知な母親で、卑屈で暗くて、、、、、、、まあそんな不安定な母親だけど、誰よりも子どもを愛し、守りたいということだけは忘れずに。しっかりと伝えて。育てていきたいと思う。
子どもの寝息を聞きながら思ったそんな夏の寝苦しい夜の戯言。🌙