パーマをかける。概念が変わる。
一昨日、20年間天然直毛の僕がパーマデビューしました。
強すぎないツイストパーマでだいぶ雰囲気を変えてみたところ、予期せず気づきが得られたのでここに備忘録として残します。
こんなことを考える人は中々いない気がします笑
「寝ぐせ」という概念と向き合う
パーマをかけた次の日の朝。
起きると寝ぐせを感じませんでした。
よく、
と聞いていたので、本当だ!と思って小さくガッツポーズしてみたりしたのですが、同時に不思議な感覚も味わいました。
パーマをかける前、直毛の頃は、髪がぴょんと跳ねているものが「寝ぐせ」と認識されて直す対象になっていたのですが、
パーマをかけた今、
逆にぺたんとしてるところが「寝ぐせ」として認識されるようになったのです。
ここに、人間の知覚の罠というか、一種の面白さを感じている自分がいました。
多数派をスタンダードだと無意識に考えている
平均、普通、常識..etc
ここにハマっているものが多数派であり、スタンダードである、と小さな頃から教えられてきた僕たちは、その枠組みから外れたものを特異な存在として名前をつけて区別し、時には差別することもあります。
ちょうどセカオワのHabitの歌詞みたく。
さらに面倒なことに、「スタンダード」と「正しさ」は無意識のうちにイコールに近い関係になっています。
進化の産物?
この考えは、おそらく生存に役立つ進化の過程で得た産物であり、ここまで淘汰されずに残った性質なのでしょう。
「周りと同じようにしている方が外敵にバレにくい。」
「特異な行動を起こす個体の方が怪我や死ぬリスクが高い。」
しかし、現代、特段日本は原始の頃のような死と隣り合わせのサバイバルをするわけではありません。
他の人と違うことをしてはいけないわけでも、平均の範疇に収まることが必ずしもいいことでもありません。
こうやって考えてみると、
もしかしたら人間はまだ現代に適応できていないのではないか、と少し思ってしまいました。
なんだか、脱線を重ねて話が壮大になってしまったのでここらで切り上げます。
パーマをかける。概念が変わる。
結局のところ、寝ぐせの本質は「髪がぴょこんと跳ねていること」ではなく、「他の大半の髪の様相と著しく異なる部分」であるというところでしょうか。
前者でしか認知できなかった僕が後者を認知できるようになった良い記念になりました。
パーマから人間の思考パターンというとんでもない方向に話が飛んでいきました。
こんなことを考えるのが割と好きです。
議論の余地があったり、ちょっとこれどうなんだろうか、みたいなことをあれこれ突っ込むのも楽しいです。
ありがとうございました!