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スワロー亭のこと(19)書棚づくり
2017、18年と2年間にわたり続けてきたマンスリーライブに、ひとまずの区切りをつけた。2019年は積極的にイベントを仕掛けることをせず、古本屋(一部新刊も扱っているので本屋といってもよいが、ハッキリとはいいきれないので、ざっくりと古本屋と呼ぶ)としてのこの場所に腰を据えて向き合うことになった。
本屋、古本屋の個性がどこに表れるかといえば、店舗の外観や内装もあるが、なによりも棚づくりだろう。どんな本を扱うか、それらをどう並べるか、そこに店の人間の趣味嗜好が映る。
2019年当時、中島は受注による書籍制作やライター仕事をメインにしていたこともあり、スワロー亭の書棚づくりはほぼ奥田に委ねる格好となっていた(快晴堂商品だけは仕入れからディスプレイ、お客様への対応まで、できるだけ中島が担当)。
書棚づくりの発想は、まず連想ゲームから。ジャンルで分ける。キーワードでくくる。イメージでつなぐ。妄想で縛る。などなど。
通常の書店の場合は新書や文庫はそれだけで出版社ごとに棚が作られていることが多いが、スワロー亭は古本屋かつ小規模店でありそのような棚は成り立たないという事情も手伝って、単行本も新書も文庫も一緒に並べた。
作家が亡くなったときなどは追悼特集としてその作家の作品をあるだけ集めて平台に並べるということもやった。
新聞に取り上げられた本は記事のコピーをPOPとして添えてみたり。
装丁のシンボルカラーごとに集めるということもやった。赤い本、青い本、黄色い本を同じ棚にバーっと並べる。赤い本を並べるとその棚は真っ赤になり、視覚的にはインパクトが出る。お客様から「おもしろいですね」と言っていただいたこともあった。
あとは「モノクロ顔写真」というくくりでの陳列も。評伝本によくあるタイプで、本の主人公である人物が表紙全面にドンとモノクロで出ているもの。その性質上、主人公は物故者であることが多いが、必ずそうというわけでもなく、でもご存命の主人公も比較的高齢者が多かったような気もする。
小規模店とあって駒数も限られ、回転もそれほど速いわけではないので、いつもフレッシュに見せるためにはなかなか知恵とエネルギーを要求される。
ただ、一度置いた場所にずっと置いたままにしている本は手に取られる機会が減るということもなんとなく経験的にわかっていた。このことは以前にも書いたと思うが、たまたま自分たちの目に留まって棚から取り出しパラパラめくった本や、仕入れたときから「これおもしろそうだから自分も読もう」と思っていて、そんなにすぐには売れないだろうからと油断していた本などが、ほどなくして売れていくということが意外とよく起こる。
そのことのしくみはいまだにうまく説明できないが、なんというか、その本になんらかのかたちで注がれた意識が、誰かの意識を引きつける、というようなことではないかと思う。本は黙ってそこにいるだけだが、伝言板のような役割も果たしているのだ。と勝手に思っている。
書棚づくりについては、どこかで知識や技術を学んだわけでもなく、まったくの手探りだった。取り立てて珍しい発想もそう浮かぶものではないが、背表紙を並べるか面出しをするかだけでも棚の雰囲気は変わるし、複数冊の塊で見るのと単体で見るのとでも本のイメージが違って見えることもある。
誰かが打ち立てた法則を取り込むというよりも、毎日いろいろ試して、人の反応を見て、経験からなにかを身につけていくのがいちばん確かなのかもしれない。店それぞれにふさわしいやり方があるのだろう。
そういえばかつて短期間だったがアルバイトでお世話になった衣料品店で、部門マネージャー氏はかなり頻繁にディスプレイの模様替えをおこなっていた。あるとき、社員・アルバイト数人を動員して半日ほどかけて手の込んだディスプレイをやったことがあった。こんなに手間のかかることをやったのだから、これでしばらくはいくのだろうとぼんやり思っていたが違った。翌日「柱のディスプレイ変えるから、今飾ってる商品全部撤収して」といわれてビックリしたことがある。ディスプレイの使命は極論すれば販促効果があるかどうかがすべて。工夫を凝らしたとか、時間とエネルギーを注いだとかいうディスプレイ自体の問題は二の次だ。
思えばあのときマネージャー氏が見せてくれた背中は、のちのち自分の仕事にもある種の影響を及ぼしていたのかもしれない。一度書いた原稿を、部分修正でなんとか使えるものに仕立てる、というアプローチではなく、あちこち気に入らない原稿を一度全部捨ててゼロから書き直す、ということをやったほうがいい、という判断が自分の内側から生じたのは、あの経験がどこかで遠因になっていたとしても不思議はない。
得意の脱線が始まりそうな予感がしたので早めに本題に戻すが、ちょっとしたことであっても、商品陳列においてなんらかの仕掛けをしたときに、その本をお客様が目に留め、手に取り、購入してくださったときは、不思議な感慨が湧く。本屋(というよりも店全般か)を営む者の楽しみのひとつだ。読みたくなる環境をつくれるだけつくって、あとは訪れた人の意思にゆだねる。
子どもの教育について、大人の考えであれこれ教え込むよりも、必要と思われる環境だけをつくって、あとは子どもが自ら発見し体験し習得していくのをじっと待ち見守るのが大人のやるべきことだ、というような話を聞くことがある。
教育するとはもちろん思っていないが、本屋が本を誰かに届けるという行為もそれに通じる部分があるような気もする。
(燕游舎・スワロー亭 中島)