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人生の岐路は、湯けむりの先に(1)

エッセイ集「湯あがりみたいに、ホッとして」の発売を記念して、本の中のお話を数点公開いたします。真面目なお話からちょっと笑えるお話まで、銭湯やサウナ、高円寺やフィンランドを舞台にいろんなお話を書きましたが、どれも読み終わった後にホッとする気持ちになってほしいと思いを込めて書きました。お仕事の休憩時間や、ご飯を食べ終わった後、そして湯あがりのひとときのようなホッとする時間に読んでいただけますと幸いです。

 人は二十六歳で人生の転機を迎える、という記事をTwitterで見かけた。その投稿には「分かる……まさに私もそうです!」「確かに二十六歳で転職したわ」など賛同のリプライが並び、かく言う私も激しく頭を縦に振っていた。
 今までの人生で想像もしなかった「銭湯の番頭兼イラストレーター」という生き方を選んだのがまさに二〇一六年、二十六歳だった。
 なぜ番頭になったかに触れる前に、まずは私の半生を振り返ってみたい。

六月二十六日、私はオギャアと生まれた。ちょうど昼食の時間に生まれたので、お医者さんたちが慌てていたと母は話していた。知ったこっちゃないよ。
 母は、OL、貿易の通訳、インテリアコーディネーター、ライター、大学の職員と、転職を繰り返し、新しい環境にも恐れず飛び込むマルチワーカー。
 父親はサラリーマンとして実績をあげていたにもかかわらず定年前に退職し、祐天寺でコーヒー焙煎店を立ち上げる行動力の塊のような人。
「常に動いていないと死ぬ」マグロのような塩谷家で私はすくすくと育った。
 母が、かねてからの夢だったインテリアコーディネーターになると宣言したのは私が中学生の頃。コーディネーターの学校課題で、建築パース(立体的に描いた建物のイメージ図)をよくリビングで描いていた。絵を描くことが好きだった私にとって、パースに勤しむ母の姿は憧れで、母と一緒に建築パースを描いた時間は大切なひとときだった。
 そんな少女時代を送っていたので、大学進学の際には建築の道を自然と選んだ。
 幸いにもストレートで建築学科に進学し、卒業後は第一希望の設計事務所にも入社することができた。
 事務所ではやり甲斐のある設計の仕事も任せてもらえて、社長や先輩も目をかけてくれて楽しく仕事に取り組んでいた。
 だが、心の奥底にはいつも劣等感があった。
 大学時代、いくら頑張っても設計(デザイン)の成績が上がらず、成績優秀な友人と比べてよく落ち込んでいたのだ。入社してからも劣等感は抜けず、「自分程度の人間は誰よりも努力しないと人並みになれない」と自分を叱咤して全力で仕事に打ち込み、夜中まで仕事をすることもしょっちゅうだった。
 そんな日々を一年ほど続けたある日、なんだか体の調子がおかしくなった。
 最初は、めまい。ランチを終えて事務所へ戻る途中、突然ぬかるみにハマったように目の前の景色が揺れて、めまいに襲われた。次に耳鳴り。激しい腹痛、頭痛、ひどい疲れなど体のあちこちで異常が起き、やがて体がうまく動かなくなった。
 そしてついに夜中まで仕事をした翌日、目覚めると、体のあちこちに石を積まれたように全身重くて起き上がれなくなったのだ。
 それでも気力で立ち上がり、コンビニで一番高い栄養ドリンクを胃に流し込んで、事務所までの坂道を歩いた。一歩一歩が重く、普段なら自転車でも余裕しゃくしゃくで上れる坂道が絶壁のように感じる。
 いつもの倍の時間をかけて辿り着くと、私の顔を見るなり経理のお姉さんが小さく悲鳴をあげた。「塩谷さん、顔色真っ白だよ」
 鏡を見ると、自分の顔とは思えない死人のような顔色で、ドン引きした。こりゃもうだめだ……ひとまず病院に行かないと、と社長宛に数日休みたい旨をメールで書いていたらなぜか涙が溢れて止まらなくなった。
 この時初めて、自分は相当追い込まれていたことに気づいたのだ。


 病院では、機能性低血糖症と診断された。
 ストレスで副腎の機能が下がり、血糖値がうまく調節できないため体が思うように動かなくなったらしい。この病は自律神経にも影響するので、無意識に涙が出たり、人と話したり会ったりするのが怖くなるという抑鬱症状が出ていたようだ。副腎の疲れをとるには休養が必要なので、ひとまず三ヶ月休むことになった。
 休みに入ってからは、まず寝まくった。
 というより、全身がとにかく疲れきっていて起き上がることができなかったのだ。
 仕事の引き継ぎで先輩から電話がかかってきた時も、起き上がることなんてできなくて、申し訳ないと思いながらベッドで寝ながら対応した。
 建築学科時代は寝袋で一週間以上大学に寝泊まりし、二徹なんてザラなほど自分はタフだと思っていたのに、座ることすらできない程弱ったことが恐ろしくて仕方なかった。さらに、忙しい時期なのに仕事を休んでしまったという負い目や、同期が前進しているのに自分が何もできないでいる後ろめたさ、親に迷惑をかけているという罪悪感が積み重なって気持ちはどんどん塞がっていった。もうこのまま生きていても仕方ないかも。そんな風に思うことが、何度もあった。

そんな日々を一ヶ月ほど続けた頃、大学時代のサークルの同期MちゃんからLINEがあった。休職したことを書いた私のSNSの投稿を見て、自分も今休職中だと連絡をしてくれたのだ。
 Mちゃん曰く、サークルのO先輩(♂)も休職しているらしい。それなら三人で会おうと、中目黒の焼肉屋に集合することになった。
 久々に会ったMちゃんとO先輩はゲッソリしていてギョッとした。恐らく、二人も私の顔を見て同じことを思っただろう。昼どきの焼肉屋の喧騒のなか、顔色がちょっと危うい三人で、いつもよりだいぶ少なめなお肉を焼きつつポツリポツリと会話した。近況とか、体調のこととか、今の心境とか。
 休職中の身でないと分かりあえない話に、私の心はだんだんとほぐれていった。
 食後のお茶を口にする頃、O先輩が最近銭湯にハマっている話をし始めた。
 当時、ライターのヨッピーさんが書いた銭湯にまつわる記事がネットでバズっていて、先輩もそれを見て銭湯にハマったのだそうだ。
 その記事では都内にある銭湯を紹介しつつ、あつ湯と水風呂に交互に入る入浴法「交互浴」の魅力が力説されていた。交互浴を三回繰り返すと交感神経と副交感神経が刺激されて、最終的に自律神経が整って、寝つきがよくなったり疲れがとれたりするようだ。
 私もこの記事を目にしていて、体の調子が最悪な今だからこそ試してみたいと思ったが、外に出る気力がなく銭湯に足を運ぶまでには至っていなかったのだ。
「この近くにもいい銭湯があるんだよね。光明泉って銭湯で、すごい綺麗なんだよ」
「じゃあ行きますか。みんなで」
 焼肉臭い顔色の悪い集団はそのまま銭湯に向かうことになった。
 銭湯なんて久しぶりだ。私が最後に行ったのは、大学近くの銭湯。年配の方が多く、なんだか薄暗く汚らしいイメージだったのを覚えている。
 しかし、光明泉は私のイメージとは真逆だった。リニューアルオープンしたばかりの建物は、隅々までピカピカで薄暗さなんて一ミリもない。それどころか光がさんさんと入り込んで白く眩しい。
 体を洗い、水面がピカピカ光るお湯に足をつける。温かく柔らかい湯が足先を包んで、じわじわとほぐしていく。ゆっくり胸まで浸かると、体の内側にまでお湯が入り込んだように、心が温かなもので満たされた。
 あぁ??ッ……とおじさんくさい声が漏れ、口角が自然と上がってしまう。
 こんなふうに自然に笑顔になれたの、いつ以来だろう。ふと、同じ湯に浸かっている優しそうなおばあさんと目があった。
「今日寒いわよね??」
 うわ、声かけられた!!
 びっくりした。年の離れた人と話すなんてすごく久しぶりだったし、そもそも家にずっと引きこもっていたので知らない人と話す機会なんてずっとなかった。
「そうですね??。いやあいいお湯ですね??」
 自然に返事ができている自分にさらに驚いた。不思議だ。あんなに人と話すのが怖かったのに、湯に浸かっていたら普通に会話ができてしまった。
 その後もおばあさんとのやり取りは続いた。天気の話とか、今日のお湯の気持ちよさとか、他愛もないことだったけど、自分が少し誇らしく思えた。
 せっかくだから、記事で熱弁されていた交互浴もやってみよう。
 おばあさんと別れた後、二人入ればいっぱいの小さな水風呂に向かった。
 あつ湯でしっかり温まった体で、恐る恐る足先をつける。
 つめたッ!!!!!
 足先を入れただけで全身が拒絶しているのを感じる。普通に冷たい。罰ゲームかなんかかな?
 一瞬諦めかけるも、ヨッピーさんの記事の「ちょっと我慢して10秒入ってみて欲しい!」という一文が脳裏に浮かんだ。
 そうだ、十秒。ひとまず十秒我慢して入ってみようと、一気に肩まで浸かってみた。
 つめたッ!!!!!
 やっぱり普通に冷たい。でも十秒我慢するんだ……! 一、二、三……と小声でカウントしていくと、六秒を過ぎたあたりで突然体が軽くなった。だんだんと寒さは小さくなって、むしろ体の奥が温かい。
 十秒。逃げるように水風呂から出ると、体がびっくりするほど軽く、不思議なことに足先までポカポカになっているではないか! え???すご???い。
 体が温かくなると、自然と心まで温かくなる。不安に満たされていた心は優しい気持ちになり、更にはそれを通り越して「もしかして私は神だったのかな?」という根拠のない自信にまで到達した。それまで「私は虫です」と家で転がっていた人とはまるで別人。こんな心地よさと爽快感、久しぶりだ。

生まれ変わったような清々しさを携えながら浴室を後にし、着替えを済ませて待合室に向かうとO先輩が待っていた。すっごい肌がプルプル。二十歳ぐらい若返っている。もしかして赤ちゃんですか?
 興奮しながら、浴室の話や、おばあさんの話、交互浴の凄まじさを熱烈にO先輩に語ると、先輩はまるで自分が褒められているような満足げな顔で頷いた。

ホカホカの体で銭湯を後にする頃には、焼肉臭い顔色の悪い集団は、シャンプーの香り漂う顔色がツヤツヤした集団になっていた。
 キラキラの銭湯のお風呂、銭湯で出会ったおばあさん、無敵モードになる交互浴、すっかりツヤツヤになった顔色。たった一回で私はすっかり銭湯の虜になってしまった。
 それからO先輩と共にありとあらゆる銭湯を駆け巡る日々が始まった。



〔後編(2)は10月23日に公開〕


『湯あがりみたいに、ホッとして』
2022年11月17日 双葉社より発刊
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設計事務所から転職し、「番頭兼イラストレーター」として活躍した銭湯を退職、画家として独立した著者。100℃のサウナと0℃の水風呂を往復するように波瀾万丈な人生ではあるけれど、銭湯やサウナ、それを愛する人々に助けられたり、笑わされたりして、少しずつ自分らしくいられる場所を作っていく。銭湯の番頭業務の裏側や『銭湯図解』制作秘話、フィンランドサウナ旅など、濃厚エピソード満載! 読むとホッとして、ちょっとだけ前に進む気持ちになれる――。『銭湯図解』で話題沸騰の著者による、笑いあり涙ありのエッセイ集。


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(10月28日締め切り)

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