おひとりさまごはんの真髄
さく、じゅわ……と華やかに音が鳴る。
これは、渋谷のとある食堂で、私と一対一で対峙したアジフライを箸でつついたときに聞こえた音なのです。
耳からというより、箸を持つ指先から伝わってくるようなささやかな音。友達と一緒にいるときはついおしゃべりに夢中になって、聞き逃してしまう音。
五感をフルに活用しながら、ぱくりとアジフライにかじりつく。その瞬間、衣のサクサクとした食感と、ふっくらとした身から立ち昇る豊かな風味が全身に幸福の風を吹きわたらせる。う〜ん、美味しい。心の中でうなる。
最近、ひとりで外のごはんを食べることの喜びがわかってきた。
「いただきます」
そう心の中でつぶやき、お店が丹精込めて作り上げた一皿に真正面から向かい合い、味わう時間。せっせと箸やフォークを動かし、たまに美味しさに天を仰いだりしながら、ぱくぱくもぐもぐ、幸福を噛みしめる。まるで静かな儀式のようだ。
人とのおしゃべりやペースに惑わされることなく、純粋に食を堪能できる、これが「おひとりさまごはん」の醍醐味だ。
とはいうものの、私は少し前までひとりで外食することが苦手だった。
まず、食事中、あるいは食事を待っている間、どこを見ていたらいいのかわからなかった。本を読んだりスマホを見たりしていても、どこか自意識過剰で浮き足立ってしまう。
ファミレスやファストフード店はかなりシステム化されていて、ひとりひとりの客が目立たない感じがするので敷居が低いが、それ以外の店は入るときからして勇気が必要だった。
そして何よりも、美味しいものを美味しい!とすぐに誰かに伝えられないのが辛い。「美味しいね」と話しかければ「美味しいね」と答える人のいるあたたかさ、である(字余り)。
それに、声をしばらく発していないと、頭の中で言葉が飽和して、自分が寄り目をしているのかどうか、だんだんわからなくなってくるような不安定な感覚に陥る。
だから、わざわざひとりでごはんを食べに行くことはほとんどなかった。
けれども、人の気持ちは変わるもの。
私を変えるきっかけとなったのが、新型ウイルスの流行である。
それまで行きたいお店があると決まって誘っていた人に、声を掛けられなくなってしまったのだ。
私ももちろん自粛生活に努め、家でごはんを食べることが多くなったのだが、少し状況が落ち着いてきた夏頃から、何かの用事のついでにひとりで外食するようになった。
今までは「ひとりで食べるごはんにお金をかけるのは控えよう」と節約していたものだが、他に楽しみも少なくなったので、ひとりでもちょっと良いものを食べよう、という気になった。コロナ禍だし、そもそも用事のついでなので人を誘うことができない。私は勇気を出して、いくつかのお店の暖簾をくぐってきた。
そして年が明け、春も近づいてきたころ、私は気づいたのだ。
「ひとりで食べたごはんの方が、味を鮮明に思い出せる!」と。
人と一緒に食べるごはんは(久しぶりに会った友達は特に)、どうしても会話や相手のペースに合わせることに意識が向いてしまう。さらに大して仲良くない人が相手の場合は、気を遣いながら食べるので、文字通り味気ない。
その点、ひとりで食べるとき、向き合う相手はたったひとつだけ。目の前にあるごはんだ。
周りの目を気にして余計なことを考えなければ、お店の味に真剣に向き合う絶好のチャンスとなる。
そう気がつくと、今まで「ひとり」ということに対してどこかマイナスのイメージがあったことが悔やまれる。
孤独、ぼっち、寂しい……ひとりの時間はすきだけど、人目がある空間でひとりでいることに対してはどこかそんな負の感覚をもっていた。だから外食するときもつい自意識過剰になってしまっていたのだ。
でもひとりでごはんを食べる楽しさに気づきはじめた今、周囲の目など知ったこっちゃない。そもそもこの令和の世は、女も男も関係なく、「おひとりさま」を謳歌する時代なのだ。
おひとりさま。
「お」と「さま」がダブルでつく気高さがかえってひとりを誇張し、言い方によってはやや侮蔑的な響きをもつ危険性も孕む言葉だが、私は結構すきだ。
ぼっち、と言われるとなんとなく縮こまってしまう背筋が、おひとりさま、では少し伸びて風を切って歩けそうな感じがする。
颯爽と店に入り、食に真摯に向き合い満たされて、さっぱり席を立つ「おひとりさまごはん」。
なかなか優雅な行為じゃなかろうか。
……と、ここまで熱弁しておいて、私はまだあまりおひとりさまごはんを実行できていない。
ぼんやりしている間に、大学を卒業し、社会人になってしまった。
リピートしたいお店もあるのに、まだ行ったことのないお店もごまんとあるなんて……足りない、あと千年くらい人生が足りない……!!
世の中に満ち満ちている美味しいごはんの数々に対して、ひとりの人間のもつ時間はとてつもなく短いのだ。
人を食事に誘いづらいこのご時世、自分の稼いだお金で、ひとりで美味しいごはんを食べに行く。
そんなちょっとした贅沢をしたい春だ。