過客の如き旅行くもの:破
目を覚まして枕元のiPhoneで時間を確認すると、アラームの設定時刻の約10分前だった。
独りで使うには贅沢すぎるクイーンベッドのおかげか、昨夜泥のように眠りについてから一度も目を覚ますことなく朝を迎えた。
そのため二度寝の誘惑に駆られることもなく、余裕を持って朝の支度を整えることができる。
今日は金沢市街地から足を伸ばし、白山市にある白山比咩神社を訪れる予定だが、まずは近江町市場に目的のものを食べに行くことにした。
ホテルが香林坊と近江町市場のちょうど中間くらいの場所にあるため、どちらも徒歩5分くらいでたどり着く。本当に絶妙な立地だ。
目当てのお店の開店時間まで少しあったので、近江町市場を散策する。やはり港が近いだけあって海鮮類はかなり充実しており、サイズも気持ち大きめなものが多い。値段自体は結構張るが、質も考慮するとお値打ち価格なのは間違い無いだろう。
程なくしてお店の開店時間になったので、そちらへと向かう。
今回いただくのは、金沢おでんだ。
とりあえず独自色のあるものをということで、バイ貝・赤巻き・車麩・ふかしの金沢スターターセットにプラスして王道の大根をチョイスした。
バイ貝の大きさを基準にしているのか、具材が大きめで朝から何ともボリューミーとは思ったが、あっさり目の出汁のおかげでむしろ朝にちょうど良いくらいだった。
どれも良く出汁が染み込んでおり、非常に美味しくいただいたところで、駅へと向かうバスの時間も近づいてきたため、近江町市場を後にした。
バスで金沢駅へと向かい、北鉄チケットセンターにて「鶴来まち歩きクーポン」を購入。1200円で購入することができるこのクーポンは、北陸鉄道石川線の端から端までの往復きっぷ(野町〜鶴来と鶴来〜野町)に加えて、鶴来にてバス片道・タクシー割引・レンタサイクルのいずれかが利用できる、若干お得なクーポンだ。
なお、その石川線は金沢駅から向かう場合はバスで野町駅に行くか、いしかわ鉄道で一駅先の西金沢で乗り換えるかする必要がある。
今回は西金沢ルートを選択した。在来線からの車窓を楽しみたかったからだ。
金沢駅から約3分、西金沢で下車すると、市街地の栄えようが嘘と思えるほど落ち着いた場所に変わった。
乗換駅とはいえ、首都圏の電車のようにスムーズにダイヤが組まれているわけもなく、20分ほど待つと、ローカル線特有の程よい古さを感じる電車が到着した。
電車に揺られることおよそ30分、関東の郊外では意外に見ることができない車窓からの田園風景を眺めていると、今日の目的地である白山市の鶴来駅に到着した。
かつては加賀一の宮駅まで電車が運行しており、そこからすぐに白山比咩神社の表参道まで歩いていくことが出来たようだが、残念ながら現在は廃線のため、鶴来駅からバス・タクシー・自転車・気合のいずれかで向かう必要がある。
バスが一番楽な手段ではあるのだが、いかんせん本数が少ないのと、間の道を自由に散策したいこともあり、今回はレンタサイクルを選択した。天気が良いのも幸いだった。
駅の向かい側にある公民館で手続きを行い、頼りになる足を手に入れたところで、早速白山比咩神社へとサイクリングを開始した。
本来なら徒歩32分を要する長い道のりを軽快に走り抜けることができる二つの車輪に有り難みを感じながら、表参道まで一気に駆けて行った。
表参道に到着する頃には、時刻はもう少しで12時を回りそうなところであり、少し小腹も空いたので、一の鳥居のすぐそばの店でたい焼きを一つ購入した。
たい焼きや今川焼などの焼き一族では、あんこよりももっぱらクリーム派なのだが、せっかく白山市にいるということで今回は白繋がりで白餡をチョイスさせていただいた。駅からここまでの距離を自転車で爆走し、疲弊した身体に白餡の甘さが染み渡るのを感じつつも、気温がもっと低ければ格別だっただろうと暑さによる邪念が入り混じったりしていた。
中身がぎっしりと詰まったたい焼きを平らげ、腹ごしらえも済んだところで、早速参拝へと歩みを進めた。
境内までの参詣道は思っていたよりもずっと長く、神門をくぐる頃には先ほど摂取したカロリーは使い果たしたのではないかと錯覚するほどだった。とはいえ、起伏が多いわけではないため、永遠に階段を登り続ける必要がある沼津の淡島神社よりはずっとマシだが。
白山そのものが御神体というスケールの大きさに加え、霊験あらたかな大自然の中に位置していることもあり、菊理媛神の霊力を存分に感じながら拝殿にてお参りをした。ちょうど拝殿の奥で神楽舞のようなものが行われていた。神々しいものが見れてラッキーだった。
参道が長いだけあって境内から先の敷地もかなり広く、数多の摂末社に加えて禊場や白光苑というちょっとした庭園まで、見るものは様々あった。
白光苑は庭園と言いつつも特に開けた場所にあるわけではなく、やや奥まった所の本当に入って良いのか分かりかねる入り口の先にあった。
庭園自体は山麓の綺麗な自然を活かした、雰囲気のある美しいものだったが、それ以上に最深部の竹垣で切られた「神域につき立ち入り禁止」の看板が妙に心を掴んで離さなかった。
山奥の田舎を舞台に繰り広げられる因習系ホラー好きとしては、まさにそれらを象徴するようなこの神々しい光景に、心を動かさずにはいられない。
地元のクソガキどもに一箇所だけ容易にぶっ壊されそうな耐久力の竹垣や、十分に視界が開けているにも関わらず、ふと目を離した隙に奥へ進んで行った不届者を見失ってしまいそうな神域の雰囲気も素晴らしい。
そんなこんなで1〜2時間かけて白山比咩神社を散策し尽くし、自転車を走らせて再び鶴来駅へ向かった。野町行の電車まではかなり余裕があったので、比較的駅の近くに位置する金劔宮に行くことにした。
かつては劔(つるぎ)神社と呼ばれ、まさにこの鶴来の地名の由来にもなったとされる由緒ある神社だ。さらに、創建の歴史は紀元前にまで遡り、金運のご利益もあるという。これはあやかりに行くしかない。
一の鳥居の近くに自転車を停めて石段を登ると、途中に地下通路のような見た目の横穴があり、階段の先は道路が走っていた。
境内は一体どこにあるのか。地図で調べてみると、どうやら車道を二つほど挟んだ先にあるらしい。なかなかに面白い立地をしているではないか。
途中の横穴は、道路の下を通って境内へと通じているようなので、安全を期してそちらから向かうことにした。
道中でムカデにエンカウントしつつ、神社にしては珍しい通路を抜けると、荘厳な社殿が鎮座していた。
お参りを済ませ、境内からの眺望や影向石など一通り見て回ると、そろそろ良い時間になっていたので、自転車を返却して電車に乗り、鶴来のまちを後にした。
石川線の反対側、野町駅へと到着した。
次なる目的地は、三大茶屋街のひとつ”にし茶屋街”だ。野町駅から風情ある住宅街をしばらく歩いた先に到着する。
観光エリアからは結構離れた場所ではあるが、普通の道路すらも昔ながらといった装いでなかなかにフォトジェニックだ。
そしてにし茶屋街へと到着する。名称からはひがし茶屋街の対になる存在を想起させるが、規模感に関しては圧倒的にひがし茶屋街の方がデカい。しかしながら、外国人観光客の割合はこちらの方が多かった気がする。多分理由はこれだろう。
忍者刀や鎖鎌など、様々な武器が展示されており、博物館としては小ぢんまりとしつつもなかなかに満足度の高い施設だった。
この面白施設が呼び水となったおかげかどうかはわからないが、にし茶屋街は外国人が点々としていた。
今川焼以降何も口にしていなかったので、近くの店でカツサンドと抹茶ミルクを注文し、遅めの昼食をとった。衣のサクサク具合といい、やはりお店で食べるカツサンドは格別だ。
店を出てにし茶屋街を散策していると、数軒先に『賞味期限6分モナカ』なるものが目についた。「さっき昼食べたばかりだし…」と逡巡するのも束の間、賞味期限6分への好奇心には抗えず、気づけば件のモナカを口にしていた。モナカ部分も美味しいが、中にパンパンに詰まったマスカルポーネチーズと塩豆餡の組み合わせがこれまた絶妙で、濃厚なのに不思議とさっぱりしており、いくらでも食べれそうな中毒性を生み出していた。
腹も満たして満足したところで、ホテルへと戻ることにした。地図で確認するとおよそ1.7km。バスもあったが、特に問題なく歩ける距離なので、食後の運動がてら歩いてホテルへと向かった。
道中で北陸でも最大級の繁華街である片町を通過したが、その称号はやはり伊達ではない。単に都会的なのとは違った、繁華街特有の汚い栄え方をしている。
しかしながら、大きい繁華街が中心駅から結構離れた場所にあるというのは中々珍しいように思えるが、意外とそんなことはないのだろうか、などと考えながら歩いているうちにホテルへと到着した。
時間にして大体17時過ぎ、飲食店の夜営業がぼちぼち始まる頃合いだ。
当然ながら夜に何を食べるかなど、露ほども計画していなかったので、昨日と同じように部屋で店を探した。
数分ほどして、そういえば海鮮丼を食べていないことに気づき、近江町市場によるも営業している店を見つけたので、今日はそこに行くことにした。
市場だけあって上にのせる具材のカスタマイズも自由自在だ。今回はのどぐろとサーモンに、本日のオススメ(多分アジ)を加えた3人編成で挑むことにした。
また、酒のアテとしてフグの卵巣の糠漬けも注文。
フグの卵巣といえばもちろん猛毒で、加熱しても食中毒を引き起こすレベルだが、2年以上にわたって塩漬け及び糠漬けすることで無毒化できるらしい。なお、解毒のプロセスは完全には解明されていないらしく、製造も石川県の一部でしか認められていないという世界でも有数の珍味である。
肝心の味については、塩味と旨味に振り切れただけの塩漬けの魚卵で、酒と合わせると丁度いいが、単体で特別美味しいものではない。
石川特有の味を堪能したところでホテルへの帰路につき、例の如く追加の酒をあおって明日のために眠りについたのだった。