気になることを口に出せるのが、おばさんの要素の一つと思っていいですか?
かつてデザイナーとして勤務していた会社には、お掃除をしてくださるおばさまがいた。
優しく気さくで、デスクの間を回ってゴミを回収してくれるときに、よく世間話をしたものだった。
当時デザインルームと呼ばれた私のいた部署では、Pというブランドの服を愛用していた人が数名いた。フリルとレースを多用したデザインで、ふわふわのソフトソバージュのロングヘアが似合うスレンダーな方専用、というタイプの服である。スカートのウェストの左右から細いリボンを垂らし、それが歩くときに後ろになびくのがかわいかった。
そのリボンを、お掃除のおばさまは
「あらあら、ほどけてるわよ~」
とほがらかにいって、結んでくれちゃうのだ。
たしかに、小さな女の子が着るようなワンピースには後ろでリボンをきゅっと結ぶデザインの物も多い。でも、これは違うのに・・・。
親切からやってくださるのがわかるだけに、誰も本当のことが言えず、「あ、すみませ~ん」とうけながし、ほとぼりが冷めたころにほどいているシーンを何回も見た。
かすれるようになったから捨てたマーカーも、試し書きをしてみて、少しでもインクが出れば
「まだ書けるわよ~」
と拾い出してくださる。ありがたいような、そうでもないような・・・。
この場合もやはり、「ありがとうございます~」と言って受け取り、後日あらためて目立たないような配慮をして捨てていた。
世のおばさま方には、確固たる自分基準があるように思う。そこからはずれた物に対して、注進したくなる性質があるように思う。
私も過去に何回も、おばさまのご注進に助けられたことがある。
成人式の晴れ着で歩いていたとき、後ろから駆けてきて
「足袋のコハゼがはずれてるわよ」と教えてくださった上、かがんではめ直してくださった方がいた。
ロングコートの裾についたままだった、クリーニングタグを教えてくださった方がいた。
「あなたがイマドキの子だったら、教えてあげないところだったんだけどね」そのおばさまは言った。
「小さな子を、にこにこしながら見てたでしょ」・・・私は表情までチェックされていたらしい。
各種ある冷凍シュウマイから、オススメのひと品を教えてくださった方、旅先で友達の写真を撮っているときに、
「撮ってあげるからあなたも入りなさいよ」
と言っていただいたこともある。
その全てがおばさまであった。
おじさまは、皆無。シャイなのであろうか。
そ・し・て・・・「それ」は私にも現れつつある。
中学生から高校生の男の子が、ズボンをづりおろしてはいているのが気になる。
かかとをつぶしてはいている、ローファーが気になる。
自転車に乗りながら食べている、お菓子の包装のゆくえが気になる。
病院の待合室で、看護婦さんに呼ばれても、ゲームをしていて返事をしない小学生を見たときには、叱ってやりたい気持ちを抑えるのが大変だった。実際、すぐ隣にいたら「お返事は!?」と言ってしまっていたかも知れない。幸いにも彼は、私からかなり離れた場所に座っていたので難を逃れた。
ある時、美術館のミュージアムショップで、修学旅行らしき中学生の男の子がポストカードを選んでいた。バラバラと取り落としてしまったカードを拾ってあげて手渡しても無言だったときには、思わず
「何て言うの?」
と言ってしまった。きょとんとする彼に畳みかけるように
「拾ってもらったら何て言うの?」・・・別にお礼が言われたい訳じゃないけど、何か間違ってるでしょ?と伝えたくてつい言ってしまった。自分の子供に言うみたいに。
ああ、もうこれは完璧「おばさん化」・・・。たぶん誰にも止められないだろう。せめて、私の中に芽生えつつある自分基準が、世間様からそうはずれずにいられるように、日々精進いたしましょうか・・・
※※※これは2005年4月に書いた文章です。予めご了承くださいませ^^;※※※
【追記】
19年を経て、今やもう押しも押されぬ立派なおばさんです。
リュックのファスナーが開きっぱなしだったら声をかけて閉めてあげるし、スーパーの商品で遊んでいる子がいれば声かけちゃうし、電車で羽目をはずしている高校生を見れば、注意しないまでも睨むくらいのことはしちゃう。
ちなみに、立派なおじさんでもある夫君にもその傾向はある。
ん?なんで?